2008年11月14日金曜日

楽しみなケーララへの中旅行

11月に入って初めての日記である。
確か、前回は10月27日なので日記とは言えなくなってしまった。
弁解をしてもしょうがないが、今月は休日コースの開設準備やケーララ州への中旅行計画、それに会社設立準備などが重なってしまった。
休日コースは、延期になってしまったがとにかく多忙を極めた。

ケーララ州への中旅行は、11月17日から27日の10日間を予定している。
以前から、ケーララ州は行きたいと思っていた所で多くのローカルな友人も行く事を薦める。
ケーララ州は、インド南西の沿岸に位置する狭く肥沃な細長い州である。
人口は約3180万人で、州都はティルヴァナンタプナム(トリヴァンドラム)である。
その地形から多くの侵略者たちの手から逃れた。
また、長く続く海岸線は海の向こうの国との交流を活発にした。
その結果、複数の文化が交じり合い独特の風習や芸術形式など不思議な魅力を放っている。
代表的な観光地としては、ケットゥヴァラム(米運搬船を使った宿泊施設付船)でのバックウォータ(水郷地帯)の船旅、コーヴァラムのアラビア海の強烈な太陽と打ち寄せる波、ベリヤール野生動物区でのジャングルの中での野生動物観察、バスコ・ダ・ガマが眠る歴史の街コーチン、
ベンガル湾がインド洋とアラビア湾と出会うインド亜大陸の地の果てカニャークマリなど、魅力的な場所が点在している。
今回は僅か10日間の旅などで全てを訪れる事はできない。
現地に行って決めるつもりであるが、コーヴァラムとカニャークマリは、ぜひ、訪れてみたい所である。
今回の旅の計画も手作りである。
最初は泊まるところの確保である。
泊まるところは、幸いにもインターネットで直ぐに見つけることができた。
トリヴァンドラムでのホームスティである。
問題はどうやっていくかである。
トリヴァンドラムへは、バス、車、列車、飛行機の4つの方法がある。
バスと車は地理的にも時間的にも肉体的にもあきらめた。
そこで、行きを飛行機で帰りを列車にすることを考えた。
飛行機の手配はなんとなく自信があったが、列車の予約については全く自信がない。
まず、どこで予約をすればよいか皆目、検討がつかない。
バンガロールには、駅が二つある。
予約ができるのはどちらの駅なのかさっぱりわからない。
ローカルな友人に聞くと例のごとく様々な答えが返ってくる。
一番、信用できそうな人の言うころを信じて南インド鉄道局のオフィスに行った。
オフィスは雑多な古いコンプレックスの中にあった。
沢山の人でごった返していた。
どの窓口でどのようにして申し込むのかさっぱりわからない。
周りの人も係員も殺気立っている。
とても、ものを聞けるような雰囲気ではない。
どうしても、列車で行かなければならない訳でもないので、結局、予約はあきらめた。
後日、列車の予約は2-3週間前にしなければ、まず不可能である事を知った。
緑の窓口で難なく予約できる国の便利さを痛感した。
今月の17日―27日はケーララ州への中旅行なので、今月のブログはこれ1回になりそうである。

2008年10月27日月曜日

DIWARIはインドの光のお祭り


今、10月27日午後7時。
バンガロールの街の至る所で大きな音が響き渡っている。
どこかで銃撃戦でも始まったのであろうか。
大砲のようなズバッという音もあれば、ドンという砲車砲のような音、パンと言う拳銃のような音、機関銃のような連射音も聞こえてくる。
すぐ、身近でもお腹に響くような音がした。
もう、大変な騒ぎである。

でも、心配は無用。
爆弾テロなどではない。
今日と明日はインドで一番大きなお祭りDIWARIである。
インドの10月はお祭り月間である。
DUSSEHRAに続いてDIWARIがある。
10月には、多くの会社や学校が休みとなり、モールにはきれいな飾りがなされ、街中が一段と賑やかになる。
私の生徒もこの休みを利用して金曜日から里帰りしている。
DIWARIはヒンドゥー暦でカーティック(西洋暦では10月or 11月)と呼ばれる月の満月から2週間後の「新月」の日、DUSSEHRAはその20日前と決められている。
したがって、年によって日にちが変わり、今年は今日がDIWARIとなる。
新月の日が何故2日間あるのか不思議な気がするが、ローカルな友人の話では出身地でDIWARIが分かれるそうだ。
その友人によると、今日はタミル州の出身者で明日がカンナダ州の出身者だそうだ。
祭りの日が出身州で異なるなどとは聞いた事がない。
また、インドの人は人からものを聞かれて「知らない」と言うのは相手に失礼と考えるらしい。
したがって、DIWARIの日が出身州によって異なる事は保証の限りではない。
DIWARIは、ヒンドゥー教の神様ヴィシュヌの化身である英雄ラーマが14年間追放されていた自分の王国アヨーディヤに無事帰還したことを祝って行われ、女神ラクシュミ(富と幸運の神で、ヴィシュヌの妻)を迎える祭りである。
別名『光のお祭り』とも呼ばれ(もとのサンスクリット語「ディーパーワリー」は「灯明の列」の意味)、家々は「ディヤ」とよばれる小さな素焼きの皿のランプやろうそくの灯で飾られる。
日本のクリスマスのデコレーションのように、豆電球でバルコニーや外壁にイルミネーションを施す家もある。
でも、なんといっても爆竹や花火が凄まじい。
昔、子供が小さいときに家族で大晦日を横浜で向かえた。
この時に、中華街で新年を迎える爆竹を経験したが、インドのそれは比ではない。
中華街とバンガロールとの規模違いを言えば、ご理解頂けると思う。
DIWARIに向け、家々では家中すべての壁の塗り替え(ホワイト・ウォッシュ)をしたり、大掃除をしたりするそうだ。
新しい服を用意し、親しい人やお世話になった人、親戚の人や近所の人などにあげるプレゼントやお菓子を準備したりする。
DIWARIはインドの人々にとっての「クリスマス」と「お正月」のようなものである。DIWARIには新しい服で身を包み "HAPPY DIWALI !!" とお互いに声をかけあう。
DIWARIの夜は一晩中大騒ぎする。
今日は寝かしてもらえないかも知れない。

2008年10月23日木曜日

ブログの写真について

臨場感を感じて頂ける様に、出来る限りブログに関連する写真をアップしています。
標準は小さいサイズにしていますが、CLICKすると拡大してみる事ができます。
特に、インドの建物には素晴らしい彫刻が施してありますので、ぜひ、拡大して御覧下さい。
また、コメントも入力できるようにしました。

2008年10月22日水曜日

インド人IT技術者研修について


最近、ブログ愛読者の元同僚から研修の事も載せてほしいと言うリクエストがたまにある。
言われてみれば、私がインドに来た目的の一つに、私なりのインド人IT技術者育成がある。
確かに、インドには旅行だけに来たわけではないので今日は研修の状況について記す。
結論から言うと研修の方は緩やかではあるが徐々に立ち上がりつつある。
日銀短観のような表現であるが多少時間はかかっているが進みつつある。
現在は、月曜日から金曜日(1部の土曜日)の朝の7時30分から9時まで、家の教室(写真)でインド人IT技術者に日本語を教えている。
彼らは、キャリアとしての日本語検定資格(4級)を目指している。
私はビジネス日本語には関心があるので教材は用意していたが、日本語には関心がなかった。
そこで、日本語教材をインドに来て1から手作りした。
生徒の人数も少なく教材などを手作りしていたら収益どころの話ではないが、自腹でしかも毎日、仕事
の前に学ぶという彼らの情熱に賛同したのでやっている。
研修生の一人は、家の直ぐ近くの会社(三菱の現地法人)で働いており、以前は9時に起きれば間にあったが、研修が始まってからは毎日6時に起きて往復1時かけてバイクで通ってくる。そのためか学習意欲も高く、質問も良くするので、にわか日本語講師には荷が重い場面もある。
しかし、何年か前に得た国際交流協会の日本語認定講師の肩書きでどうにか乗り切っている。
2008年度の日本語能力試験は12月7日(日)に世界各国で実施され、1級を除いてはバンガロールでも受験できる。
この研修は、日本語能力試験が終わる12月の1週まで続く。

この日本語コースは、週末(土曜日・日曜日)の打診も来ている。
もし、受けると月曜日から日曜日まで研修で埋まり無休状態に陥る。
日本なら労働基準局からお叱りを受けるかもしれないが、幸いここはインドなので目は届かない。
しかし、このような状態になると残る目的の一つ、ローカルなインド旅が出来なくなってしまう。
既に、私たちは次の計画を決めている。
インド国内は、ケララ州のバックウォータを巡る船旅とエローラ・アジャンタの古代遺跡の探訪である。
海外編ではエジプト、イスタンブール、モルディブ諸島の何れかである。
これらの旅には、少なくとも1週間から2週間は必要である。
いろいろと少ない知恵をめぐらせた結果、一日の時間数を増やせば休みをまとめて取れることに気がついた。 この条件が合えば週末コースを開講するつもりである。
また、定期コースの他にも今月はTKM(トヨタ自動車のインド法人会社)幹部候補生の異文化コミュニケーション&ビジネス日本語の特別講座を実施した。
TKM幹部候補生は、日本のTMC(トヨタ自動車本社工場)で1.5年から2年に渡り、トヨタWAYなどの研修を受け、その後、インド(TKM)に戻り、幹部として第一線で活躍している。

TKM幹部候補生は、従来から3ケ月間の日本語研修を受けていたが、日本の研修受入先(TMC: トヨタ自動車本社工場)から日本語を含めて仕事の実践力向上を求められていた。
そこで、私は従来から考えていた
「①仕事に使える日本語(ビジネス日本語)、②日本企業での仕事力(JOB CAPABILITY)」
をTKMの人事部門に提案していて今月に入って、急遽、依頼がきた。
このような経緯から今回の研修は試行的な要素を持っている。
意外ではあるが、インドでは新しい事を始めるための結論を得るまでには、日本では想像できないほどの時間と説得材料が必要となる。
この件が定着するかはどうかはわからないが「果報は寝て待て」の精神で気長に待つ。
また、この研修ではTKMの人事部門からの要請で「異文化コミュニケーション」も入れた。
以前から異文化コミュニケーションには関心をもっていたので、今回、挑戦することにした。
以前から集めていたネタとインドでの体験を織り交ぜて新規に教材(OHP)も作った。
私は異文化コミュニケーションとは、相手の文化を理解尊重する事ではなくお互いの文化が異なる事を正しく理解する事と捕らえている。
例えば、世界という範囲では日本文化は極めて異質であるとも考えている。
このテーゼを基に、日本人の行動原理を説明してみた。
研修生が正しく理解してくれたかどうかは、確かめるべくはないが興味深く熱心に聴いてくれていた事には大変、勇気を得た。
特に、世間と言う世界(会社、学校、知人、仲間)とこれ以外の世界(家庭、見知らぬ人達)では、日本人の行動原理(例えば、マナー)が異なる。
これは、世間と言う世界(会社、学校、知人、仲間)では日本人は「周りから良く思われたいという意識が働く」からである。
この自説は我ながら説得力があったのではと自負している。

研修に関しては、もう一つ共同事業化の話が進んでいる。
相手は未だ30代のバンガロール大学の新進気鋭の日本語教師である。
以前にブログにも書いたが、彼の日本語能力は(発音を除けば)完全に私を上回っている。
彼はバンガロールの日本語関係者の間では名が通っている。
私が彼をパトーナとして考えているのは、彼のビジョンに共通項を見出しているからである。
それは「日本ビジネスのGATEWAYをインドに造り、言語、文化、仕事の3つの橋を架ける」という彼のビジョンである。
参考:http://www.gobunsho-japan.com/
彼は今、日本に行っている。
来週には、インドに戻るので継続して議論を重ねるつもりである。
番外ではあるが、妻のパン教室の方は極めて順調である。
日本駐在員の奥さんを中心に生徒数も10人を超えている。
現在でも、いろいろな所からお声がかかっている。
インドのパンは、日本のようにふっくらとしていないので日本のパンはとても好評である。
特に、ここバンガロールには日本や欧米からの帰任者が多い事も好影響している。
目の付け所がとても良かったと思う。
もしかすると、私よりも事業の才能やヒューマンスキルは優れているかも知れない。
日本では発揮できない部分が異国では発揮できる場合もあり、この点では妻もインドに連れて来て良かったと思っている。

最後に、研修の件を総括しておく。
昨年、私は仕事(仕えてやる事)を止めることを決断した。
したがって、研修は事業としては捕らえているが、仕事と言う捕らえ方はしていない。
すなわち、収益ややるべき事よりも自分がやりたい事を優先している。
幸い、現状でも当初目的の70%-80%は達成できていると思う。
後は、正直な所、結果的に継続できればいいなあと言うくらいの気持ちである。
私は最初からこの件を気負ってやるつもりは毛頭ない。

2008年10月20日月曜日

南インド小旅行記






















久しぶりに3日間の南インド小旅行をした。

まず、インドでの旅行費用から記す。
通常、ほとんどの日本人はインド国内を旅行する際には車をチャータしている。
車のチャータ代は、大凡の走行距離で決まる。
普通のインド車では、10INR(25円)/kmであり600kmくらい(名古屋―東京往復)の旅行をしても6,000INR(1.5万円)である。
日本人の感覚からすると車をチャータしての旅と聞くと贅沢に思うが、インドではそれほど贅沢な旅ではない。
これに、運転手の日当300INR/日と食事代100INR/日が必要になる。
したがって、運転手付きの車を1週間チャータして600kmの旅行をしても2万円ちょっとで済む。
これだけなら、インド中を気楽に旅行できそうに思える。
問題は宿泊代である。

インドではこの宿代がなかなか曲者である。
例えば、安ロッジを利用すれば2人で1日400INR(1,000円)と凄まじい金額である。
食事代も安ロッジなら2人で1回、50INRで済む。
やろうと思えば、1泊2日(食事代込み)2人700INR(1750円)で泊まる事は可能である。
しかし、普通の感覚の日本人が安ロッジに泊まれる事は至難の業である。
外見だけを一見すると安ロッジは大丈夫そうに見えるがその内部たるや凄まじい。
私自身はどちらかと言うとこの手の話には耐えられる方と思うが、実際に現物を目の辺りにすると安ロッジに泊まれる自信は飛び去ってしまう。
よく若者のインド旅行で安宿の話が載っているがそれでも安ロッジではなくドミトリィのレベルだと思う。
ドミトリィなら、一応、4段ベッドがあり宿泊を意識した作りになっている。
安ロッジは人が宿泊する事など全く意識していない作りである。
見知らぬ大勢の人が狭い部屋に雑多に詰め込まれる。
当然、建物内にはシャワやトイレはない。
食事の場所も見当たらない。
多分、遠く離れた場所にはあると思うが建物内には何一つ見つからない。
しかし、安ロッジはいつも満員らしい。
いくら、安いといっても日本人には耐え難いが現地の人たちには環境の悪さなどは眼中にないようだ。多分、インド人は宗教的な巡礼などで安ロッジ利用しており、昔から、このような環境にも耐えられるのだろう。
インドの安ロッジに比べれば、日本の山小屋などは別荘のようなものだ。
一方で、高級な宿泊施設もこれまた凄まじい金額である。
例えば、私たちが旅したOOTYのリゾートホテルなどは1泊3万円からである。
平均が3万円ではない。最低で3万円である。
リゾートホテルに泊まるには、なんと、最低でも安ロッジの30倍の費用が必要となる。
リゾートホテルの1泊分で安ロッジに1ケ月、滞在できてしまう。
要するに、インドでの旅行費用はほとんど宿泊代で決まる。

さて、私たちのバスツアーに話を戻そう。
今回、私たちは思うところがありローカルな旅をする事にした。
そこで、地元のバスツアーを申し込んだ。
このツアーは、MYSOREを経由して西ガーツ山脈のOOTYを訪れる2泊3日(車中1泊)の旅である。
このバスツアーを選んだのは、次の理由による。
まず、日本からの観光客でわざわざ南インドまで訪れる人はほとんどいない。
また、バンガロールに駐在しているビジネスマン達も西ガーツ山脈まで行く事はない。
行ったとしても地元のバスツアーを利用するという発想はない。
安旅の若者には、宿泊代が高くOOTYを訪れる事はできない。
要するに、資金面のほかに滅多に日本人が体験できないローカルな旅をしたかった。

私たちの旅は10月15日朝6時に困惑とともに始まった。
私たちはインドのバスツアーのシステムが良く理解できていなかった。
そこで、念を入れてPICK-UPの時間と場所を前日に再確認した。
係員は6時から6時15分の間にPICK-UPするので旅行社の待合室で待っているように告げた。
私たちは言われた通りに、出発30分前の朝の5時30分に旅行社に行った。
私たちが想像していた通り、案の定、旅行社は開いていない。
夜型のインドで、朝の6時に旅行社がオープンなどしている訳がない。
仕方がないので、旅行社の前の道でバスがPICK-upするのを待つ事にした。
ここまでは、想定の範囲である。
ところが、6時を過ぎてもそれらしいバスは来ない。
携帯電話で旅行社の係りに連絡すると「come, come」を連発するばかりで埒が明かない。
そのうちに、出発時刻の6時15分が過ぎてしまった。
半分、今日のツアーを諦めかけた時、突如、一人のインド人が声を掛けて来た。
彼は、旅行社の係りで旅行社の車で私たちをPICK-UPに来たという。
私たちは、PICK-UPと聞いてPICK-UPするのは勝手にバスだと思っていた。
旅行社の係りは、PICK-UPするのは勝手にインド人だと思っていた。
確かに、彼は6時前には旅行社の前にいた。

彼の話によるとバスは7時にバンガロール市内の巨大バスステーションから出るらしい。
これまでにだいぶ時間をロスしたので、係りの車に乗ってバスステーションに急いだ。
朝が早いせいもあり、バスステーションには順調に20分ほどで到着した。
しかし、巨大バスステーションにもツアーバスは到着していない。
巨大バスステーションでも1時間近く待たされて、結局バスが出発したのは8時00分。
ここまでに、約2時間を要した。

その後、バスはバンガロール市内の至る所でマイペースに乗客をPICK-UPした。
結局、バスがバンガロール市内を離れたのは9時30分。
ここまでに、約3時間30分を要した。
バンガロールとマイソールは160kmなので車ならとっくにマイソールに着いている時間である。
バスは、遅れに遅れているにも係わらず、途中でお決まりの朝食休憩や給油なども入り、結局、マイソールに着いたのは午後1時。
ここまでに、家を出発してから実に8時間を要した。

ともかくも、マイソールに無事に着けた。
これだけで感激モノである。
マイソールは、気候が良く魅力的な文化遺産が歩いて見ることが出来るので旅行者に人気が高い人口75万の南インドを代表する町である。
シルク、サンダルウッド(白檀)、お香の産地としても名高い。
特に、シルクは高品質で廉価なマイソールシルクとしてインドでは有名である。
マイソールに着いて、バスが最初に向かったのは文化遺跡でもなければ、有名なマハーラージャ宮殿でもなかった。
最初に向かったのは政府公認のシルク店である。
これは、万国共通らしい。
サリーやパンジャビドレスが豊富な店であったが、既にサリーやパンジャビドレスは、バンガロールで何枚か手に入れていたので、この店ではシルクのスカーフを購入した。
日本の何分の一かの値段で高級なシルクのスカーフを手にできて、妻はもうツアーを絶賛する。
今回のツアーは困惑とともに始まり、僅か160kmの所を8時間もかけてきたにもかかわらず。
どうして、こう高級なモノに弱いのだろう。

マイソールの名前の由来は、神話のMAHISUMUによる。
マイソール王朝は、1399年に興りインド独立まではマイソール藩王国の藩主が居を構えていた。
この居は今ではマハーラージャ宮殿(写真)として主要な観光スポットの一つである。
ところで、インドでは観光地の入場料はインド人と外国人では異なる所が多い。
マハーラージャ宮殿でも、外国人はインド人の5倍の入場料を支払う必要がる。
たいした金額ではないが、あまり納得ができないので見学はパスした。
日本人が南インドのほぼ外れまで来て、インド人がタージマハールと共に憧れているマハーラージャ宮殿の見学をしないという事が理解できないのか、ガイドはしつこく見学を進めた。
実は、見学しなかった理由は、去年にもマイソールには来ており、その時に十分すぎるくらいの時間をかけて見学をしていたからである。
後日、私たちはインドに1年間滞在するための長期滞在許可書を持っており、これがあれば、インド人と同じ料金で済むことを知人から聞いた。
今後、インド国内を旅行するときはパスポートの他に長期滞在許可書を持っていくことにする。
マハーラージャ宮殿は素晴らしい所である。
南インドにきたら、1回はマハーラージャ宮殿に行く価値は十分にある。

その後、バスはCHAMUNDI Hillに向かった。
CHAMUNDI Hill は、その名の通りマイソールの町並みが一望できる1062mの丘である。
マイソールでは、マハーラージャ宮殿と並んで人気が名高い観光名所である。
特に、CHAMUNDI Hill から見る夕暮れのマイソールの町並みはなんとも形容しがたい絶景である。
今回のツアーは、昼なので残念ながら見ることができなかったが、昨年の暮れに来たときは丁度、夕暮れなので悠久の大地の落日を見ることが出来た。
見れば、万人が感動する。
巡礼者達はCHAMUNDI Hillの最上までの1000段以上の階段を上らなければならない。
幸いにも、私たちは巡礼者ではなかったのでバスで頂上まで行く事ができた。
CHAMUNDI Hill には、SRI CHAMUNDESWARI TEMPLE(写真)がある。
この寺院は、7階建て高さ40mのそびえ立つGOPURAMが特徴的である。
何故かわからないが、バスの駐車場に不思議な像が建っている。
この像は、悪魔の一人マヒシャースラで藩主一族の女神チャームンディーに倒されたそうだ。
時々、インドのガイドブックや旅行記でもお目にかかる。

最後に、バスはST PHILOMENAS CATHEDRAL(写真)に行った。
1993年から1941年にかけて建設されたネオ・ゴッシク様式のインド最大の聖堂の一つである。
僅か10分前にはヒンドゥー寺院を見て今度は聖堂である。
インドは実に多様(雑多)な所である。
ちなみに、インドにはいろいろな宗教が存在している。
最大の宗教は、ヒンドゥー教で人口の82%を占める。
次は、イスラム教で12%である。
キリスト教は少数であるが、それでも1900万人おり、その3/4が南インドに住んでいる。
その他の宗教には、シク教、仏教、ユダヤ教、ゾロアスター教などがある。

今回のバスツアーは、当然、マイソールで宿泊する。
当然と言うのは、明日行くOOTYは新婚旅行や高級別荘地で有名な場所で、ツアーで泊まれるような所ではない。
妻は何回かインドを観光で訪れているので経験があるが私はインドのホテルに宿泊した経験がない。
インドのホテルがどんなものか、楽しみ半分、恐怖が半分であった。
私たちの宿泊予定はPREGIDENTと言う名のホテルである。
名前からすると恐怖など無縁のようであるが、インドでは名前とグレードが一致しない。
今回は、STAR CLASSのホテルを選んだが、STANDAR CLASSのホテル名はROIYALでDELUX CLASSのホテル名はPALACEである。
まして、今回のツアー料金は2,200INR/PERSONである。
大人2人、600km(名古屋―東京間)の2泊3日の観光付のバスツアー料金が僅か1万円である。
最上級のホテルを選んだと言って安心してはいられないのである。
まして、ここはインドである。
バスは、マイソール市内を巡回しながら次々に乗客を指定のホテルに降ろしていく。
気になって、窓からホテルを見るが何れも凄まじい場所にある凄まじいホテルである。
前に安ロッジの事を書いたが、安ロッジも顔負けである。
ときかく、明日はOOTYに行かなければならない。
ツアーで決められたホテルにいなければPICK-UPして貰えない。
もう、覚悟は決めた。
いよいよ、私たちの番である。
バスが止まった。
周りをすばやく見る。
少し暗くてよくは見えないが今までの場所よりは街中な気がする。
ホテルは目の前に見えた。
立派なエントランスである。
ロビーはインドの素敵な絵画が飾られ日本のビジネスホテルより綺麗である。
レストランも高級である。
シティホテルの部類に入るらしいがビジネスホテルとシティホテルの中間のグレードである。
室内もNOT BADである。
何よりもバスタブがあるのには感激した。
インドに来て初めてバスタブに入った。
インドで宿泊する時は、多少の出費を惜しまないで最上級を選択するのが結局は得する。
但し、ローカルな町での事でバンガロールのホテルやリゾートホテルは別である。
久しぶりにバスタブでゆっくり体をやすめぐっすりと寝た。
いよいよ、明日はOOTYだ。

PICK-UPのバスは、予定の時刻どおり7時にPICK-UPに来た。
MISOREからOOTYまでは約150km、5時間の旅である。
途中の朝食休憩などを入れると遅くとも午後1時にはOOTYに着ける。
150Kmで5時間かかるのは次の2つの理由からである。
一つは、道路事情が悪いのでスピードが出せない事とOOTYはニールギリ丘陵にある高地の町であるからである。
もう、一つの理由はOOTYに行く途中にMUDUMALAI NATIONAL PARKがあり、園内には野生のトラやゾウなどが生息しているためスピードが制限されるためである。
今回のツアーを選んだ理由の一つは、ツアーバスがMUDUMALAI NATIONAL PARKを通ることであった。
MUDUMALAI NATIONAL PARKは、ニールギリ丘陵のふもとに広がる面積321m2のニールギリ生物保護区(3000Km)の1部である。
植生は草原から半常緑樹林まで変化に富む。
森林には、チタール(鹿の一種)、ガウル、ヒョウ、イノシシ、ナマケモノなどが生息している。
公園内の川には、カワウソやワニなども生息している。
野生のゾウは600頭前後いると推測されている。
どんな野生の動物に会えるか楽しみである。

バスは、途中、いくつかの町や村を通り過ぎた。
周りの景色も南インドらしく椰子の木などが増えてきた。
前方に丘陵がその向こうに高山が見えてきた。
目的のOOTYは丘陵を超えた向こう側にある。
バスは快適とは言えないが確実に距離を稼いでいる。

やがて、バスは町外れに差しかかると徐々に登り始めた。
いくつかのカーブを危なげに登っていく。
それほど広くない未舗装の道一杯を使っている。
対向車が来たら避けようがない。
でも、大丈夫である。
インドのバスは車以上にクラクションを鳴らす。
窓もしっかり開けている。
ただ、余りにも自分のクラクションが大きいので相手のクラクションが聞こえるかが心配である。
そんな心配をよそにバスは森林のなかで停車した。
見ると前方にはゲートがあり閉鎖されている。
傍には警官らしき人物がいる。
手にはライフルを持っている。
最初は合点が行かなかったが、どうやらここから先は待望のMUDUMALAI NATIONAL PARKらしい。
立ち入り許可が必要となる。
バスの係りは手際よく手続きを済ませた。
バスは、MUDUMALAI NATIONAL PARKの中をゆっくりと進んでいく。
いかにも野生動物が生息していそうな所である。
ガイドは左右を厳しい目で監視している。
30分も走ったが何者にも出会わない。
それでも、私の期待は高まる。
ついに、チタール(鹿の一種)の群れに遭遇した。
大きな群れである。
特に、バスを警戒するでもなく淡々といつもの散歩をしているようである。
自然の森林をチタールの群れが進むのは壮観である。
このツアーに参加してよかった。
この他にも、野生のゾウや名前はわからないがサルにも遭遇した。
後で聞いたが、OOTYに行くバスでこれだけの動物に出会うのは大変ラッキィだそうだ。

MUDUMALAI NATIONAL PARKを通り過ぎると、小さな村が転々としている。
急な斜面にへばりつく様に点在している村もある。
私には、広い場所があるにも係わらず斜面に点在している理由がすぐに理解できた。
この辺はニールギリ紅茶の産地だからである。
寒暖の差が激しく霧の出やすい場所は紅茶の栽培に適している。
OOTY TEAは紅茶の盛んなインドでもブランドである。
私たちもお土産リストに入れてある。

OOTYまでは36の急カーブがある。
日本ではヘアピンカーブと称するが、インドではベンドカーブと言う。
バスは苦しそうに対向車に気をつけながら快調に高さを稼いでいく。
ほどなくして、道は平坦になった。
やっと、OOTYに到着である。
しかし、OOTYは残念なことに、今は私が期待していた場所ではなかった。
そのため、写真には撮っていない。

OOTYは正式にはUDHAGAMANDALAMと言い人口が9万人の標高2240mの町である。
標高2240mの町に人口が9万人も住んでいる理由は、19世紀のはじめに英国政府が夏の間だけ政庁をここに移したためである。
そのため20年ほど前までは、英国の南部とオーストラリアをMIXさせた物語のような町並みであった。そこには、平屋の石造りのコテージと美しい垣根に咲く花々、青々と茂る緑の続く道、そして、緑の生い茂る高い木々があった。
しかし、観光地化が進んだ今は、その面影は1部の高級リゾートホテルにあるのみである。
ガイドブックの写真は高級リゾートホテル周辺のものなのだろう。
5時間くらい滞在したが、それらしい雰囲気の場所はなかった。
ただ、植物園は州政府が管理しており、手入れが行き届いており美しかったのが印象的であった。

OOTYは標高が2000mを超えており、夜間は0度まで気温が下がる。
一応、長袖のシャツで防御をして行ったが、陽がでていないと昼でも寒い。
植物園に行く途中にチベット市場があったのでベストを買った。
アンゴラの厚手のものである。
価格は180INR(450円)。安い買い物である。

バスは、午後5時にOOTYを離れた。
これから、バンガロールへ12時間の帰りの旅である。
12時間もかかるのは、マイソールからバンガロールは夜行バスになるためである。
マイソールとバンガロール間は、通常の大型観光バスであるがマイソールとOOTYはミニバスになる。
ミニバスはOOTYに宿泊する人をホテルまで送迎し、マイソールやバンガロールに帰る人を乗せながら、例のごとくOOTY中をこまめに走り回る。
当然、時間も費やす。
午後5時に出発したバスがマイソールに到着したのは何と6時間後の11時である。

バンガロール行きの夜行バスは既に到着していた。
予定ではバスはマイソールを夜中の12時半に出発する。
約1時間半の待ち合わせである。
乗客は黙ってひたすらバスの中で1時間半を待つ。
インドの人は、ひたすら待つ事は、なんら苦痛ではないらしい。
食べ物を食べたり、他愛もないおしゃべり(現地語なので正確ではない)をしている。
私には、何もしないでひたすら待つ経験が乏しいのでこれがなかなか苦痛である。
今回の旅は、この繰り返しであり閉口した。
これからは、何らかの対策を考えなければいけない。
ここはインドなので2-3時間は瞑想できるようにヨガでも始めようか。

あと30分、20分と出発予定時刻が来るのをひたすら待った。
しかし、出発時刻の12時半になってもバスは出発する気配がない。
私たちには為すすべはない。
ひたすらバスの出発を待つしかない。
やがて、1時を過ぎた頃からインド人の乗客たちが騒ぎ始めた。
英語もあるが大半は多様なローカル言語である。
英語を話せる人を捕まえて聞いてみた。
どうやらバスの運転手が来ていないらしい。
近くの宿で仮眠をしているらしいが、会社の責任者も何処のホテルかは知らないらしい。
方法は、彼が起きてくるのを待つか近くの宿を片端から探すしかない。
何人かの乗客は近くの宿に走って行った。
そうこうするうちに、運転席にインド人が現われた。
彼は、何事もなかったようにバスを走らせた。
不思議な事に乗客は誰一人として彼に向かって文句を言わない。
私には理解しがたい状況である。
無理に理解すれば、ヒンドゥーの教えに結果よければ全て良いというのがある。
インドの夜行バスは、思っていたよりは快適である。
あくまでも、思っていたよりの快適である。
快適さを日本のバスと比べる事は意味がない。
普通の神経の持ち主は、夜行バスでは寝る事はあきらめた方が良い。
バスのリクライニングや広さの前に、劣悪な道路事情がある。
これに加えて、至る所にバンフがある。
バンフは車のスピードを落とさせるために地面の1部を盛り上げたものである。
バスはバンフに乗り上げる度に、上下に激しく揺れる。
私はクルージングが好きで上下に激しく揺れる体験は何回かあるが、大きな客船が大きな波に乗るのとインドのバスがバンフに載るのとでは、同じ上下運動でも天国と地獄ほどの違いがある。
また、バスの横からの光はカーテンで防ぐ事はできるが前方からの対向車のヘッドライトの光は防ぎようがない。
インドでは、ほとんどの車が夜間にはヘッドライトを上向きで運転している。
昔の刑罰で眠らせない時にはライトを使ったり、経験はないが警察の取調べでもライトが使われているらしい。
不規則に感じる強烈なライトほど睡眠の妨げはない。
2回ほど、強烈なインド音楽が社内に響き渡った。
どうも、運手席の音楽が間違って市内放送に流れてきたらしい。
こんなに大きな音楽をかけながら運転して大丈夫なのだろうか。
後続や対向車のクラクションは間違いなく聞こえない。

夜のNH7をひた走り、やがてバスは激しく止まった。
一睡もしない(というよりさせてもらえなかった)経験は何十年ぶりだろうか。
これも考えようによっては、貴重な体験なのだろうか。
バスが止まってからも社内アナンスは何もない。
やがて、1組の家族が気だるそうにバスを降りた。
どうして良いか戸惑っていると、前列のバスの交代運転手が何故、降りないのかと言ってきた。
どうやら、ここが終点らしい。
周りには、まだ寝入っているインド人乗客も大勢いる。
私たちは、あわててバスを降りた。
そして、インド初体験バスツアーの旅を終えた。

2008年10月13日月曜日

インド流、新築祝い


先日、3軒離れた所に建設していた家のHOUSE WARMINGが行われた。
HOUSE WARMINGとは、インド流の新築祝いである。
運よく、このインド流新築祝いに招待された。
招待してくれたのは、この家のオーナではなく設計者である。

いつも、散歩をしながら建設中の家の様子を見ていた。
私はこの家の大きな窓が気に入っていた。
ある日、家の前を通りかかって偶然にこの家の設計者に会って、この事を告げた。
設計者は自分の意図を理解してくれた私にいたく感謝してくれて、HOUSE WARMINGには必ず来るように何回も念を押した。

実は、HOUSE WARMINGは身内を対象にした盛大な催しであり招待状が必要である。
当然、オーナからは招待状は来ていない。
いろいろと迷ったが思い切って行ってみた。
設計者は玄関の所で招待客を迎えていたが、私たちを見つけるとわざわざ近くに来てオーナに紹介してくれた。

家の内部は外部から想像していた通りであった。
インド品質という言葉はこの家には当てはまらない。
いろいろなローカルな家を見たがすべてのグレードが高い。
この家は設計者の意図が見える。
きっと、住み心地もよいにちがいない。

当日は僧侶が来ていろいろなセレモニィが行われた。
私たちも参加したが、すべてが初体験である。
オーナの奥さんが親切に手取り足取り教えてくれた。
いつか友人になれたらと思わせる雰囲気を持つオーナ婦人であった。

NANDI HILLS


ナンディ・ヒルズは、その名の通りバンガロールの北、60Kmに位置する標高2,000-ftの小高い丘である。
MYSOREのマハラジャTIPU SULTANが避暑地として利用していた所でもあり、バンガロール市民に人気が高く、週末ともなれば多くの市民が憩う場所になる。

インドに来てかれこれ3ケ月を過ぎようとしているが、未だバンガロールから外に出た事はなくローカルの友人に会うたびにOUTSIDEは何処に行ったか聞かれて、少し、閉口していた。
ナンディ・ヒルズは僅か2時間のドライブではあるが、郊外(OUTSIDE)である事は間違いないので、これから聞かれたときは「ナンディ・ヒルズに行った」と堂々と言うことにする。

ナンディ・ヒルズからの眺めは丘とは思えないくらいの壮大さがある。
よく、インドは悠久の大地と称されるが、ここ、ナンディ・ヒルズでもこの事は、十分に実感できる。東西南北の位置関係は、よく分からないが360度のパノラマが展開している。
頂上には、お決まりのヒンズゥの寺院もある。
丁度、寺院の中では映画の撮影をしていた。
有名な女優が来ているらしく、若いインド人たちが周りを囲んでいた。
近くまで行って見学する事はあきらめたが、大きな音楽が流れてきて撮影が開始された事が分かった。大きな大量な撮影機材を持ち込んでまで撮影をしている所に出くわすと、この国の人はつくづく、映画が好きなのだと言う事がわかる。

さて、問題は写真である。
これは、合成写真ではない。
岩の上に立つ二人の若者の下は正真正銘の600mの断崖絶壁である。
鎖は勿論、注意を喚起する看板すらない。
よく言えば、ここでは誰でもが自由に自然を謳歌できるようになっている。
勿論、私たちでも(足が動けば)もっと岩の先まで行くも可能である。
子供も周りを走り回っている。
それを、親たちは平然と見ている。
鎖がない所を見ると、まだ転落した人間がいないのか、いても発見されていないのか、どちらかであろう。