2008年10月9日木曜日

ジャパンハッバ




バンガロール大学でジャパンハッバがあった。
ハッバとは現地語(カンナダ語)で祭りと言う意味である。
最初、聞いたときは全く意味が分からなかった。
昔の音楽家のようなので何かの音楽会かと思った。

ジャパンハッバは、今年で7回目を迎える、日本とインドとの国際交流の催しである。
国際交流協会や日本人会などが行っている。

バンガロール大学には国際学部があり、この中に日本語科もある。
したがって、当日は日本語を専攻する学生が大勢来ていた。
大学で日本語を専攻しているだけあり、驚くほど流暢に日本語を話す。
当日の催しで、「花」や「島唄」などを日本語で唄っていたが、感情の挿入の仕方が巧みなのか、日本人が唄うよりも心に響く。
「島唄」は、知り合いのバンガロール大学で日本語を教えているSRIVATSA先生が唄った。
先生は、沖縄に行った事はないが、沖縄の唄の旋律が大変、好きとの事である。
もう、来年のジャパンハッバでは「さとうきび畑」を唄うことにしているそうである。

ジャパンハッバは、年に1回、バンガロールで開かれるお祭りであるが、インド各地から日本人の人が集まってくる。
この中の一人の方と知り合いになった。
以前はバンガロール大学にいたが、現在はマンガロール大学で客員教授をしている。
バンガロールとマンガロールは似たような名前であるが、距離は400Kmも離れており車で7時間かかる。
ジャパンハッバに来るために車をチャータして、往復14時間の旅である。
このくらいの好奇心と行動力がないとインド生活は楽しくないのかも知れない。
現在の私には残念ながら好奇心はあるが、一つのお祭りに往復14時間かける根性は持ち合わせていない。

ちなみに、先生は62歳である。
奥さんは日本にいるので単身インド生活である。
次回は、マンガロールで会うことを約した。
バンガロールは内陸であるがマンガロールは海岸であり刺身がおいしいらしい。
マンガロールで先生に再会しておいしい刺身を食べる楽しみができた。

写真は、当日の先生(右側)とローカルな仲間を撮ったものである。

インドの古典音楽


インドに来て、初めて古典音楽を聴いた。
踊りも音楽も本物は、やはり感動モノである。

唄い手は、POORNIMA KULKARNIという女性である。
CDやカセットを出しているので、多分、地元では有名なのだろう。
彼女は唄いながらシタールを弾く。
正式には、Hindustani Classicalという部類の音楽である。
単調な調べが延々と続く。
約2時間のコンサートで演奏されたのが僅か4曲である。
1曲の平均が30分である。
余りのも長いので、即興演奏かと思ったがリクエストで弾いた曲もあるので
何れも正式な曲なのだろう。
何か物寂しげな音階で単調な音楽ではあるが、なぜか心に響く。
まるで母親のお腹にいるかのような。
遠い昔に聞いた事があるような。

もしかしたら、琵琶法師が弾いた「耳なし芳一」の原典かもしれない。
POORNIMA KULKARNIは、何かの物語を語っていたのかも知れない。
それなら、演奏時間が30分なのも納得できる。
周りの人に確認しようかと思ったが、皆、熱心に演奏に聞き入っている。
多分、Hindustani Classicalが心から好きな人たちが来ているのだろう。

インドでは、演奏の合間に必ずセレモニーがある。
写真のCDは、セレモニーの際に日本からのお客さんと紹介されてプレゼントされたものである。
日本でも舞台の上など滅多に上がった事がない。
それが、インドの舞台に上げられようとは思っても見なかった。
しかし、関係者の粋な計らいで貴重な体験ができたことに感謝している。
ちなみに、CDは75INR(約200円)、入場料は25INR(約60円)である。

2008年9月21日日曜日

インドの古典舞踊


インドに来て、初めて古典舞踊を見た。
本物はやはり感動モノである。
踊り手はSAWANTHと言う僅か16歳の若者である。
今日が彼のお披露目の初舞台である。
彼はまだプロではない。
したがって、今日の観客はすべて招待客である。
なぜ、私たちが地元の招待客(名士)しか入れない古典舞踊を見る事ができたのかを説明しよう。

私たちのローカルな友人の一人にプリーマさんがいる。
プリーマさんは、MAHARANI’ SCIENCE COLLEGE FOR WOMENのBiotechnology のHODである。
日本流に言えば、女子科学大学のバイオテクノロジ学部の学部長である。
私たちが日課のWALKINGをしている時にプリーマさんの家の前でご主人と知り合った。
これが縁で何度かプリーマさんの家に招待された。
その際に、私たちがインドの古典舞踊を見たい事は伝えていた。

今夕18:00過ぎに突然、プリーマさんから電話がありこれから古典舞踊を見に行くので一緒に行かないかとの誘いがあった。
あまりにも、急な話なので間に合うか心配で開始時間か尋ねた。
プリーマさんは平然として開始時間は18:00と言う
既に、時計は18:20を指している。
これから用意して会場にいくには少なくとも1時間30分はかかる。
躊躇しているとプリーマさんは家に来るように告げて一方的に電話を切った。
急いで準備をしてプリーマさんの家に行くと、ご主人はWALKINGの最中で結局、帰ってきたのは19:00少し前であった。
ご主人がシャワを浴びるのを待って出かけたので会場には20:30頃に着いた。
18:00開演の舞台に20:30の到着である。
2時間30分の遅刻である。
遅刻しているのに人を待たせて日課のシャワも浴びる。
これが俗に言うインディアンtimeである。

話を古典舞踊に戻す。
古典舞踊の会場は大学の講堂である。
バンガロールには常設の舞踏会場はない。
イベントがある時は、大学などの施設で行われる事が多い。
したがって、新聞を細かくチェックしないと捜せない。
私たちには到底できない。
やはり、ローカルな友人がいないとこのような幸運にはめぐり会わない。

SAWANTHの踊りはプロ級である。
私はインドの古典舞踊には詳しくはないが、彼は地元では小さい時から有名だったらしい。
来賓の挨拶では盛んに彼は地元の誇りであると賞賛していた。
5歳から有名な先生に習っており、既にライセンスを持っている。
古典舞踊ともなると、人前で踊るにはライセンスが必要らしい。
私たちが宴会芸で踊る踊りとは訳が違うらしい。

幸いにも公演の後でSAWANTHと話をする機会があった。
私は舞踊には素人であったが、率直に「力強いだけではなくエレガントである」と彼の踊りの感想を伝えた。
同席していた彼のグル(導師:教師)はとても喜んでいた。
以前には、多少、知ったかぶりもしていたがインドでは感想は素直に言うのが一番である。

いろいろと話を聞くと、どうも今夕の舞台のすべての費用は彼のご両親が負担したようだ。
会場設営、パンフレットの作成、プロの楽器演奏者、招待客への食事などで莫大な費用がかかっているハズである。
日本のピアノ発表会などは複数の人で負担するがインドでは個人負担である。
どこの国でも親は大変である。

余談であるが、どこかで彼にあったような気がしていた。
今日、あらためて写真を見て思い出した。

そうだ!美川憲一だ。

インド人の日本語講師

バンガロールには、何人かの日本語講師がいる。
先日、出会った10年来の友人の紹介で彼の日本語の先生が訪ねてきた。
彼はインドの日本語教育では有名な大学の修士である。
大学では7人の侍や三四郎などを研究し、松本清張の小説を難なく読むほどの日本語力である。
何でも難漢字を読む競争を友人としていたらしい。
漢字力も下手をすれば私よりはありそうである。

実は、私は密かに彼に会うのを楽しみにしていた。
噂では彼はバンガロール大学でも日本語を教えており、バンガロールの日本語関係者の間では名の知れた存在らしい。
私の楽しみは、彼の日本語の発音を聞く事であった。
私が教えているインド人は面白いようにインド英語の弊害でサ行とラ行の発音がうまくない。

早速、ひらがな51音を読んでもらった。
彼はまったく日本人と変わりなく、あいうえおと読み始めた。
カ行も順調に読む。
いよいよ、期待のサ行である。
サとシは問題ない。
スも問題ない。
セも少し違和感が残るがそれほど問題はない。
ソは全く問題がない。
私の期待はちょっとはずれた。
さすが、専門家は違うと感心していた時、待望のインド英語が聞こえてきた。
ラ行がいわゆる巻き舌になっている。
インド英語では、carをカール、Internetをインタルネットと発音する。
この癖が彼ほどの実力者でも直らないのである。

今回の試みでインド人に発音を教える時はサ行とラ行を徹底的にやればよい事がわかった。
彼には申し訳ないが、大きな収穫である。

彼とは今後も月に1-2回程度、日本語の教え方の勉強会をやる事にした。

2008年9月13日土曜日

やはり、昔の技術者は違う

昨日の夕方、懐かしい技術者にあった。
彼は、私たちがバンガロールに滞在していると聞いて、わざわざ子供を連れて会いに来てくれた。
彼と会うのは、実に10年振りである。

彼は私が働いていた会社の初めてのインド人技術者であった。
当時は、日本に来るインド人技術者は珍しかった。
彼と他にもう一人の技術者2人で日本に来た。
私には当時の記憶は余りない。
顔は良く覚えていないが、何故か2人の名前はハッキリと記憶している。
多分、当時は初めてのインド人技術者と言う珍しさもあっていろいろと交流はあったのだろう。

しかし、彼は当時の事を鮮明に記憶していた。
そればかりか、当時、一緒に写した写真を今でも大切に持っているという。
二度と会えないかも知れない人との記憶や写真を大切に持っているインド人がいた事に感激するのは可笑しいだろうか。

現在、彼は日本の某大手メーカが設立した同名のインドの会社の技術責任者をしている。
彼の所では、プリンターの組み込みソフトウェアを開発しているとの事である。
日本には良く行くらしく、今年も4月に行って今月末からまた行く予定らしい。
彼の日本の会社の研究開発拠点は、亀山と天理などにあり今回は天理市に6ケ月間行くらしい。

私はバンガロールに来て何人かのインド人技術者と話をする機会があったが、彼と話をしてみると全く他の技術者とは受ける印象が異なっていた。
彼は日本語をほとんど話さない。
下手な英語で話を聞いていても、違いは一目瞭然にわかる。

自信に満ち満ちているのが自然に伝わってくるのである。
背筋をピーンと張り、落ち着いた態度でかみ締めるように話す。
話の内容も経験にもとづき説得力がある。
確か、年は私より20近くは下のハズであるが、何かこちらが悟るような感じである。
これぞ、まさしくインドのIT技術者である。

インド人IT技術者は世界的にその優秀さが有名であるが、それは彼などが10年間で築き上げたものであり、現在の学問的なバックボーンだけは申し分ないが、打算的で自己顕示欲が強いインド人技術者に与えた評価ではない。

省みて、これと同じ事が今の日本にも言えないか。

来週の土曜日には、彼の家に招待された。
とても、楽しみにしている。
ちなみに、彼と一緒に来たもう一人の技術者はアメリカの大手企業のCISCO社の役員をしているそうである。

2008年9月12日金曜日

インドの竹はまっすぐではありません


先日のお気に入りの散歩道の途中に、なぜか竹やぶがある。
いつも気になって、何度も確認しているが確かに竹やぶである。
しかし、まっすぐには伸びていない。
いずれの竹も勝手気ままな方向に伸びている。
写真では空に向かって伸びている大きな竹のみが写っているが、もう、少し下の方にある竹もすべて曲がっている。

まるで、日本人とインド人を象徴しているようなので写真に収めた。
日本では、竹はみんな同じ方向にまっすぐに伸びている。
高さもほぼ同じである。
それに、比べてインドの竹は自由に好き勝手に伸びている。
各々の竹が自分の存在を主張しているようである。

今、異文化相互理解というテーマに取り組んでいる。
最近「単一と多様」と言う言葉で日本とインドの違いを理解すると良いのではと考えている。
例えば、生まれた時を考えてみる。
私たちが生まれた時には、周りの人はみんな同一の日本民族で同一の日本語を話す人である。
あまり騒がないでおとなしくしていれば、それなりに幸せな日々を過ごせる。
一方、インドはどうであろうか。
生まれたときは、周りには多くの民族の人々がおり、実に多様な言語を話す。
もし、日本のようにおとなしくしていれば、存在が忘れられ下手をすれば命すら落としかねない。
長い間、単一の中で暮らしてきた人々と、多様な中で暮らしてきた人々の文化、習慣、価値観が同じにならないのは当然の帰結であると考えている。
現在、取り組んでいる異文化相互理解のネタとして、この竹の違いを使えないかを考えている。
散歩の時にさえ漫然としているのではなく、常に問題意識を持っているのである?

私が聞いた例えをもう二つ。
その1。
日本では「沈黙は金」と言う。
インドでは、「沈黙は死」である。
その2。
日本の入社試験では「自分の意見ばかり言う人」が不採用になることが多い。
インドの入社試験では「何も言わない人」は必ず不採用になる。

最後に、もう一つ。
インド人には「竹のようにまっすぐな心」や「竹を割ったような性格」などは理解できない。

2008年9月11日木曜日

お気に入りの家


ここHSR-layoutには素敵な家が沢山あるが、中でも写真の家がお気に入りである。
最初、見たときにはとても個人の家とは思えなかった。
それくらい、周囲を威圧していた。
侘び寂びの世界もいいが、これくらい威風がある家もかえっていい。
変に回りに媚びていない所もいい。
バルコニーの形もいい。
色が白なのもいい。
植木もこれでもかと言うくらい大きいのもいい。
私には絶対に手が届かないと思わせるくらい高級なのもいい。

気に入っているので中を訪れては見たいとは思うが住んでみたいとは思わない。
何しろ、インドは砂埃がすごい。
外からでは分からないがべら棒な数の部屋があるのだろう。
毎日の掃除が大変である。
僅か3LDKHRの住まいの掃除でヘキヘキしている私は尻込みする。

この事を妻に話したら笑われた。
この家の主は自分では掃除などやっている訳はない。
きっと、大勢の使用人がいるハズである。
それも道理である。
やはり、私の価値観と感性では、このような家には一生住めないことを痛感した次第である。