2008年8月29日金曜日

娘とインドの誕生日

8/15
8 月15日は娘の誕生日であり終戦記念日でもある。
また、インドではこの日が独立記念日にあたる。
8 月15日は、我が家にとっていくつもの記念の日になる。

まず、素直に娘の誕生日から祝いたい。
娘は昭和生まれで相応な年になった。
娘とは特に機密協定は結んでいないが、3年前から年は言わないように気を使っている。
娘の名前は奈津子と言う。
命名は私である。
娘は御巣鷹山の日航機墜落事故の晩遅くに生まれた。
奈津子と言う名前には、8月15日は真夏であることや活発で元気な子に育ってほしいと言う願いも確かにある。
しかし、一番大きな理由は、大好きな小説家の題名から決めた。
小説家の名前は五木寛之、小説の題名は「奈津子、その四季」である。
四季を感じる素直な感性と四季のように芳醇な人生を送ってほしいとの思いから命名した。

インドには人生を春夏秋冬と同じく、学住期、家住期、林住期、終住期の4つに分けて考える文化習慣がある。
学住期は、自分を高めるために一生懸命に勉強する時期である。
家住期は、家庭を持ち一生懸命に働く時期である。
林住期は、これまでの実りをゆっくり謳歌する時期である。
そして、終住期は、清々と終わりを迎える時期である。
インドに来て、同じ人生の過ごし方でも日本とインドでは随分と異なるものであることを知った。
私は、このインドの考え方を素敵だと思う。
そして、今、少し早いが林住期を過ごしている。
できたら、子供たちにも漫然とした人生ではなく、インドの考え方のように四季に富んだ人生を送って貰いたいと思っている。

窓を開けると、どこからか懐かしい音が聞こえて来る。
鼓笛隊の太鼓と笛の音である。
今日は、インドの独立記念日でもある。
インドは1947年8月15日にイギリスから独立した。
確か社会の時間に、インド独立の基礎は1945年7月にイギリスの選挙で労働党が勝利を収め、政治指導者に新たな流れが生まれたことに遡ると習った記憶がある。
独立に至るまでのインドは、ムスリムとヒンドゥーとの間でそれこそ血で血を洗うような闘争を繰り返してきた歴史がある。
それは、宗教が絡むものであり1946年8月のカルカッタ・ヒンドゥー教徒大虐殺に見られるような凄まじいものである。
1947年8月15日に独立してからも、闘争の火は沈下するどころかますます燃え上がった。
そして、ついにインド最大の悲劇が起こった。
マハートマー・ガンディの暗殺である。
マハートマー(偉大な魂)は彼の死後の呼び名である。
正式名称はモハンダス・カラマチャンド・ガンディと言い、1869年10月2日グジャラート州ポルパンダルで、この地方の宰相を父として生まれた。
ガンディはサティヤーグラハの名で知られる非暴力不服従抵抗政策で余りにも有名である。
しかし、不幸にもこの全ての当事者集団の利益を考えて行動することが、一部のヒンドゥー教徒の怒りを買う結果になった。
そして、1948年1月30日、祈祷集会に出かける途中のガンディは熱狂的なヒンドゥー教徒に暗殺されることになる。

日本は植民地化された事がない国である。
したがって、終戦記念日はあるが独立記念日はない。
インド滞在中に独立記念日を体験できるとはラッキーである。
ラッキーと言えば爆弾騒動で中途半端になったラッキーの事を思い出した。
でも、今日もラッキーの紹介はお預け。

3日前にバンガロールの街中に出た時に、mallや公園や広場がインド国旗や装飾で溢れかえっていたのを思い出した。
どこか適当な祝賀会場に行こうと、新聞を隅から隅まで探したが一向に見当たらない。
多分、祝賀は政府関係者だけで行うのだろう。
そう言えば、オートのドライバーが独立記念日には、至る所で交通規制があり商売にならないと言っていた。
なにせ、植物園にVIPが一人来るくらいで、音楽隊まで出て大騒ぎする国民性である。
今日は、どのくらいの交通規制と音楽隊が動員されているのであろうか。
祝賀会場には、入れなくても折角だから独立記念日の雰囲気だけでも味わいたい。

オートを捕まえて街中まで走る。
行き先は、KSTDC情報センターである。
KSTDCはKARNAKATA STATE TOURISM DEVELOPMENT CORPORATION INFORMATION CENTERと言う恐ろしく長い名前である。
インドでは、このように長い名前が多く、その上、やたらに名称を略す。
略し方にも規則などなく、人々が自分流に勝手に略しているので、ほとんど分からない。
最初は、どうやって意思疎通をやっているのか不思議に思っていたが、注意深く聞いていると、どうやら道路の名前で場所の見当をつけているらしい事が分かって来た。
そこで、今日は場所の番地だけではなく、予め地図でKSTDC情報センターまでの道路順をチェックしてドライバーに告げた。
一発で目的地のKSTDC情報センターに行けた。
また、一つ知恵がついたような気がする。
この年になって、自分が賢くなっていくのを実感するのは気分の良いものだ。

KSTDC情報センターは、大きなバス・ステーションの傍にあった。
いや、このバス・ステーションを大きいというのは間違いである。
正確に言い直そう。
巨大である。
歩道橋の上から、ざっと、見渡しても300台は見える。
多少、インド流に染まりかけているが大げさではない。
市内バスや長距離バスは、ほとんどここから出発している。
私はMYSOREとOOTYに行くバスをチェックした。
OOTY行きは7番乗り場である。
MYSORE行きはいろいろな所から出ているらしく、切符売りのお兄さんが盛んにMYSORE・MYSOREと言いながら集客していた。
OOTYまでは、8時間、370INRの旅である。
知識と楽しみが、また一つ増えた。

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