2008年8月30日土曜日

屋外制手工業が盛んなバンガロール


8/29
HSR layoutの続編。
今、HSR layoutは建設ラッシュである。
通常なら、ここは住宅地なので建築ラッシュと書くところだが、なにせ建物が皆大きい。
敷地は優に200坪から400坪はあり、そこに、3階から4階建ての住宅である。
これは、建築の粋を超えて建設の域に入る。

また、その建て方が凄まじい。
ほとんどが手仕事である。
家内制手工業というのは社会の時間に習って知っていたが、屋外制手工業というのがあることはここに来るまでは知らなかった。

まず、基礎と地下の車庫を作るために巨大な穴を掘る。
これは鍬を小さくしたような簡単な道具でまるで、そこに金脈があるかのように一目散に掘る。
掘り出した土は、頭の上の笊を乗せて運ぶ。
セメントは、現地でタンクローリの上にある機械を使って作る。
セメントを作る段階で初めて機械らしいものが登場する。
なにせ、巨大な穴と大住宅である。
必要とするセメントの量は半端な量ではない。
現場の近くにはセメントの材料である砂が山となって置かれている。
風のある日には、この砂が風に乗って容赦なく飛び込んでくる。
窓を開けていなくても1日で床や机上は砂埃で覆われてしまう。
一番、被害にあうのはパソコンなどのコンピュータ機器である。
使用しているときはしょうがないが、使っていないときは全体を布で覆ってクローゼットの中に入れてある。
それでも、砂埃がつく。
富士通も高齢者向けのパソコンや携帯電話を開発しているが、砂漠仕様のパソコンも開発すれば売れるかも知れない。

基礎が完成すると、次は床と壁を立ち上げる。
外見からは分からないが、壁はコンクリートではなくレンガかブロックを積み重ねただけである。
四方の柱には、申し訳なさそうに鉄筋が入っているが壁には鉄筋は入っていない。
全力で壁に体当たりすれば、そのまま壁と一緒に落下するように設計してあるとしか思えない。
もっとも、意味もなく体当たりなどする人はインドにはいないだろうし、地震もない国なのでこのやりかたで十分なのであろう。
当然、建築基準法のような法律はあるだろうが、こんな法律は賄賂の前には何の役にも立たない。

一方、労働安全基準法のような法律もあるだろうが、こんな法律は何の役にも立たないことは写真が証明している。

アパートメントはXX荘


8/28
私たちの住むHSR layoutは住宅地である。
バンガロールの市内からは、多分、南東に約30Km離なれた所にあると思う。
思うと書いたのは正確な距離がわからないからである。
手元にはインドで買ったバンガロール市内地図があるが、距離が書いていないし、もし、書いてあっても縮尺が違うかもしれないので余り信用できない。
先日もこの地図を頼りに、とある場所に行こうとしたが全く役に立たなかった。
買うときには、New BANGALORE TOURIST GUIDE & MAPという表紙を確認したが、まず私たちが住むHSR layoutが載っていない。
HSR layoutは10年前から州政府によって、開発が進んでいる大規模な住宅地である。
ほとんどのオートのドライバーが知っている。
INDIAN MAP SERVICEの社員が知らないわけがない。
不思議である。
INDIAN MAP SERVICEと州政府の関係が悪いのが理由としか考えようがない。

太陽の登り具合でHSR layoutが南東の位置であることは間違いない。
距離は、市内からのオートの所要時間から算出した。
オートの所要時間も時と場合で大きく異なるが、インド流計算式で算出したといえば日本人なら納得できるだろう。

ほとんどが、個人の家であるが中には大きなFLATも見受けられる。
FLATは日本で言うところの集合住宅である。
集合住宅の名称としてはいろいろな呼名が用いられているが意味を取り違えると笑い話になる。
インドでもマンションやレジデンスのイメージは、日本のものとは異なっている。
まして、アパートメントはマンションやレジデンスより高級なイメージである。
アパートメントの一例を写真で示そう。
友人が所有するアスカ・サービス・アパートメントである。
http://www.askarealty.com/index.html
これがインドで言うアパートメントである。
XX荘と日本語に訳して、果たして正しくイメージが伝わるであろうか。

アスカ・サービス・アパートメントは、短期から長期の滞在用住宅として利用可能である。
日本にいると同じ感覚のサービスが売りである、
新聞は日本経済新聞でテレビではNHKが見られて、お風呂には当然、バスタブがあり、中にはジャグジー付きの部屋もある。
もう、一つの売りは日本食の食事である。
日本の食材は、わざわざデリーから運んでいる。
調理しているのは、ジーニアさんの同僚のフィリピンーノで彼は日本に行ったことはないが、ドバイの日本料理屋で料理人をしていた経歴を持つ変り種である。

余談であるが、バンガロール日本人会のWEBページにレストランの紹介記事があり、アスカのことを値段が高いと評している。
日本―関税―デリィ―バンガロールと運べば、高くなるのは当然である。
日本を離れると気持ちも変わるのだろうか。
一言、高い理由を買い添える心遣いがほしいものである。

2008年8月29日金曜日

巨大なバス・ステーション


8/27
オートを捕まえて街中まで走る。
行き先は、KSTDC情報センターである。
KSTDCはKARNAKATA STATE TOURISM DEVELOPMENT CORPORATION INFORMATION CENTERと言う恐ろしく長い名前である。
インドでは、このように長い名前が多く、その上、やたらに名称を略す。
略し方にも規則などなく、人々が自分流に勝手に略しているので、ほとんど分からない。
最初は、どうやって意思疎通をやっているのか不思議に思っていたが、注意深く聞いていると、どうやら道路の名前で場所の見当をつけているらしい事が分かって来た。
そこで、今日は場所の番地だけではなく、予め地図でKSTDC情報センターまでの道路順をチェックしてドライバーに告げた。
一発で目的地のKSTDC情報センターに行けた。
また、一つ知恵がついたような気がする。
この年になって、自分が賢くなっていくのを実感するのは気分の良いものだ。

KSTDC情報センターは、大きなバス・ステーションの傍にあった。
いや、このバス・ステーションを大きいというのは間違いである。
正確に言い直そう。
巨大である。
歩道橋の上から、ざっと、見渡しても300台は見える。
多少、インド流に染まりかけているが大げさではない。
市内バスや長距離バスは、ほとんどここから出発している。
私はMYSOREとOOTYに行くバスをチェックした。
OOTY行きは7番乗り場である。
MYSORE行きはいろいろな所から出ているらしく、切符売りのお兄さんが盛んにMYSORE・MYSOREと言いながら集客していた。
OOTYまでは、8時間、370INRの旅である。
知識と楽しみが、また一つ増えた。

セキュリティは安全か

8/26
インドには、実に様々な仕事がある。
この背景には、富の分配と言う慣習がある。
富の分配は、多くは寺院への寄進という形で行われるが、時として仕事の分業という形でも行われている。
その分業の一つにセキュリティという仕事がある。
日本でも警備と言う仕事があるが、名前は同じでもやっている内容は少し異なる。
大きな家の前には必ず椅子が置いてあり、そこに制服を着たセキュリティが座っている。
インドのセキュリティは、じっと椅子に座っているのが仕事である。
来訪者の取次ぎは、セキュリティの仕事ではない。
セキュリティの多くは、地方から来た人が多い。
そのため、地元の言葉も英語も話せない。
したがって、訪問者との会話が全くできないのである。
この面から言えば、番犬と同じである。

外からの脅威はセキュリティが守ってくれるが、内からの脅威はセキュリティには守れない。
何故なら、セキュリティ自体が脅威だからだ。
したがって、家の鍵は絶対にセキュリティに渡してはいけない。
地元の新聞などでは、セキュリティが彼の友人を誘導する危険性も論じられているくらいである。
私たちの住む家にも2人のセキュリティが12時間交代で24時間、椅子に座っている。
仕事と言え、何故、何もしないでじっと椅子に座っていられるのかが不思議で堪らない。
時々、私の好奇心が頭をもたげるが、何故か理由は聞けない。
言葉の問題だけではなく、多分、聞いてもその答えを私が理解できるとは思えない。

もう一つ、セキュリティで不思議なのは、新聞配達の人や牛乳配達の人と時々、会話をしている。
セキュリティは、バンガロールから遠く離れたオリッサ州から来ている。
彼の言語はヒンドゥである。
地元の配達人の言語はカンナダで日本語と中国語くらいに異なるハズである。
それが、どうして会話ができるのか不思議である。
インドは身近にも不思議な事が沢山ある。
不思議は解明しないから不思議である。
セキュリティに纏わる二つの不思議は、当分は不思議のまま、とっておく事にする。

二つのインド人観

8/25
インド人に関するお話を二つ。
最初は妻から聞いた話。
昨日、妻はジーニアさんに会いに彼女が働いているサービス・アパートメントに行った。
そこに、たまたま宿泊していた某自動車会社の人から聞いたインド人に関する話である。
その人は、今年の6月から7月までバンガロールに滞在していたが、一旦、日本に戻り、長期駐在のために再度、訪印した。
彼は自動車工場でインド人相手に技術指導をしている。
50歳代のベテランである。
彼は、妻に次のようなインド人観を一気に話した。
インド人は、100%できなくてもノープログレムを連発する。
インド人は、自分の方の非は無関心だが他人の非には目を向いて非難する。
インド人は、日本人を信頼していない。
インド人に、何かを注意するときは他のインド人を通じてしたほうが良い。
ある時ロッカーに入れておいた彼の作業帽がなくなっていた。
作業帽には自分の名前を書いておいたので、それとなく捜した。
そして、彼の名前の入った作業帽を被っているインド人を見つけた。
その作業帽は自分のものである事、ロッカーに入れておいたものも何故、無断で持ち出したのかを問うた。
そのインド人は悪びれずに、自分の作業帽がなくなったからだと答えた。
勿論、謝罪の言葉はない。
ざっと、こんな話である。

良く聞く、インド人の代表的な話である。
僅か、2ケ月の滞在で、しかも、毎日、会社の車で送り迎えをされ、休日には日本人同士でゴルフをして、彼が知っているインド人と言えば同じ会社で働くインド人社員だけではないだろうか。
彼の話が実話か否かは知る由もないが、たまたま、体験した事をインド人全体としてひっくるめて初対面の妻に論じるのは、いささか無理があるような気がする。
よく、木を見て森を見ずと言う。
今度は、逆にインド人から見た彼を論じてもらいたい。
きっと、良くある日本人論になるだろう。

次は、愛読誌で見つけたインド人観。
論じているのは、8年間、インドに滞在しているイギリス人。
彼はインドでのサバイバル・ガイドと称して次の6つの点を説いている。
心を広く持ち、新しい事を積極的に受け入れなさい。
困ったときに助けになるので、ローカル・フレンドをできるだけ多く作りなさい。
あなたが親切にすれば、インド人も親切に接してくれるでしょう。
コミュケーションのために、ローカル言語を勉強しなさい
文化伝統が違うように観点も異なるが、時にはインド人の観点も参考にしなさい。
外国人は興味の目で見られるが、これに慣れなさい。

先の御仁と比べてどうであろうか。
実に公平に冷静に、そして示唆に富んだ論じ方だと思う。
彼の見識の高さと懐の深さも印象に残った。

素敵な友人


8/23
近所を散歩していると、見知らぬ家の前で日本人ですかと声をかけられた。
そして、家に招待された。
日本でも初対面の人を家に招待する事など余りないが、インドでは絶対に初対面の人は家に入れないと聞いていたので最初は耳を疑った。
声をかけてくれたのは、JAYAさんという50歳くらいの品の良いご婦人であった。
最初に庭を案内してくれた。
JAYAさんと一緒に興味深く庭を見て回った。
いつも散歩の途中でこの家の前を通るたびに、素敵な家と庭に感心していた。
芝生で覆われた庭には、睡蓮の池があり淵には亀の置物が置いてあった。
インドで亀の置物をみようとは思わなかったのでしばらく眺めていた。
この庭はすべてJAYAさんの手づくりだそうだ。
この近くには、立派な庭の家が多くあるが手づくりの庭は珍しい。
普通、インドでは家の持ち主は、買物、料理、洗濯、掃除、庭の手入れはやらない。
自分の時間を使うよりも、人に頼んだ方が安くつくからだ。
友人の道路の前の10m2に満たない小さな芝生でさえも庭師が来てやっている。
私たちが庭を案内されていると、家の中からご主人が微笑みながら出てきた。
恰幅の良い見るからの温和そうなご主人である。
しばらくすると、ご主人も家に入るように進めてくれた。

家の中は、インドのお金持ちの家を実感するのに十分過ぎる程の素晴らしさであった。
まず、物が違うのである。
次に、広さが違うのである。
1階には、応接室、台所、ホール、主寝室、神様の部屋、家事部屋がある。
応接室は何畳あるかわからないほど広い。
神様の部屋は総大理石である。
しかも、一つ一つの大理石が大きい。
2階へはベルサイユの薔薇に出てくるような螺旋階段がある。
子供は米国に留学中なので、ご夫妻だけでここに住んでいる。
家は3階建てである。
一体、2階と3階には何があるのだろう。
当然、使用人は何人か居るだろうが贅沢というより、只、唖然としてしまう。
噂には聞いていたがインドのお金持ちはスケールが違うと言うことを日本の貧乏人は実感した。
私たちの家にも遊びに来てくださいと言う気にはならなかった。

ちなみに、JAYAさんのご主人は54歳でMODEL EDUCATION SOCITYという学校法人の理事長である。
NURSERY SCHOOLからPre-UNIVERSITY COLLEGEまで5校を経営している。

長男の誕生日に思う事

8/24
今日は長男の誕生日である。
早いもので、今年でとうとうゾロ目になった。
長男は世田谷区の三軒茶屋で生まれた。
初めての子供なので、名前をいろいろと考えた。
両方の両親や兄弟、親戚からもいろいろなアドバイスを受けた。
迷いに迷って、決めたのが進太郎という名前である。
画数や意味は、全く考慮していない。
至って、シンプルな考え方で決めた。
私の名前が進で長男だから、進太郎である。
当時の著名人として石原慎太郎がいたので慎太郎とも考えたがSimple is Bestでいく事にした。
長男の思い出と言えば、高校時代の進学相談で担任の先生から、高校生3年生にもなればもう夢はあきらめて現実的な選択をするのに、長男は未だ宇宙飛行士になりたいと言っていると言われて恥ずかしい思いをした。

現在は、某研究所の第五研究室に勤務している。
この第五研究室は、2足歩行ロボットの研究開発で有名な研究室である。
すこし前に、このロボットがサッカーをするテレビCMに出た時には、誰も知らないがスタジオの影で長男が操縦していたそうだ。
サッカーはイタリアでしていたように見えるが、実際は日本の某スタジオである。

私は良く知らないが、ロボットというのは極小コンピュータの集まりらしく、そのせいか、長男コンピュータやプログラミングに関しては、親の私が感心する程、大変詳しい。
今回の訪印でも2台の富士通製PCを持参しているが、このPCのトラブル相談は、富士通ではなく長男にしている。
残念ながら、富士通のサポートセンターの専門家も長男には適わない。

ロボットの研究開発は、アメリカのスタンフォード大学が進んでいるらしい。
先日も2週間ほど出張に行ってきたらしい。
その時の写真がメールに何枚か添付されていた。
その中の1枚に私の目が止まった。
はっきりとは写っていないが、どうも機内食のようだ。
よーく、見て驚いた。
どうみても、私が今回インドに来るときに2回も食べた機内食とは明らかに違う。
料理も違えば器も違う。
僅かに写っている椅子の肘掛部分も違う。
これは、ビジネスクラスだ。

多分、多少は意図して送って来たに違いない。
私は、仕事では新幹線も飛行機もビジネスクラスには乗った事がない。
ビジネスクラスの写真を見ながら、何か悔しい反面、うれしくも感じた。

お気に入りのレストランARANYA

8/22
おいしいレストランを見つけた。
名前はARANYAと言う。
いつも行くCOMPLEXにある。
看板にはFamily Rest runと書いてあるが、なかなかのものである。
いままでは、COMPLEXでは気楽なレストランで地元の人たちに混ざって食べていた。
ここのレストランもいけたが、ARANYAにはとうてい敵わない。
ARANYAは見るからに高そうなお店で、以前からその存在には気が付いていた。
しかし、なんとなく敷居が高くは入れそびれていた。
昼間はともかく、夜はますます敷居が高い。

ARANYAに行った訳は私たちのためだけではない。
子供たちや知人が私たちの所に来た時に、一緒に行くレストランを見つけておくためである。
インドに来て、私たちのようにいきなり気楽なレストランで地元の人たちに混ざって食べるわけには行かないだろうと考えた。
一応、気楽とは書いているが若干、本来の日本語の意味とは異なる。
要するに、ローカルが利用するお店である。
当然のようにお店の周りにはゴミの山があり、テーブルは汚れ放題である。
水は極めて危険で砂漠から生還した人でさえ敬遠するような代物である。
私たちはマレーシアに長期滞在した時に、毎晩のように中国街のローカルが利用するお店で良く食べていたので、料理がおいしければその他の事には無頓着で居られる。

しかし、潔癖で清潔なお国からいらした御仁達にはちょっと厳しいかもしれない。
ARANYAなら、間違いなくお墨付きを与えてもらえる。
店内はインドらしからぬ程、掃除が行き届いている。
ざっと、テーブルが中に10席、外に6席ある。
インテリアや照明のセンスもインドらしからぬ。
しかし、ここには私たちの好きなDOSAやタンドリィチキンなどはない。
多分、これらは正当な料理の部類には入らないのだろう。

一応、気を落ち着けてメニュを見る。
ワインから前菜へとのお決まりのフルコースである。
値段も80INR-150INRである。
これは単品の値段である。
同じCOMPLEXのローカルのお店なら2人分のセットメニューの値段である。
同じビルに、どうしてこんなに値段が違うお店があるのだろうか。
フルコースを2人分頼んだら、一体、いくらになってしまうのだろう。
1週間分の食費など軽くすっ飛んでしまうかもしれない。
テーブルにある水は飲んでしまったので、お店を出るわけにもいかないし、ウエィータは注文するまで傍から立ち去ろうとはしない。
カレーとNANNのオーダでは、日本人のイメージダウンにならないか。
そうかと言って、知らない料理では激辛だとまずいし、食べ方にも不安がある。

ここで、一つの考えが閃いた。
確か看板にはFamily Rest runと書いてあった。
Family Rest runならChineseがあるはずである。
Chineseならフルコースを避けることができる。
懸命にChineseのスペルを捜す。
あった!!

災難な一日

8/21
インターネットで教材を作っていると、昼過ぎに友人から電話がかかってきた。
どうも、私のせいで若干のトラブルが起きているようだ。
研修生が使っている教材が古いとクレームを言っているようだ。

実は、私には心当たりがある。
経緯を説明しよう。
感心な事に研修生の何人かは、研修が終わった後にも残って復習している。
私はオフィスで時間があると、彼らと雑談をしたり聞かれれば質問に答えたりしている。
昨日も3人の研修生が残って復習していた。
いろいろと話している中で、ある研修生がしきりに私の家内、家内と言った。
私はこの家内という言葉が気になった。
家内と言うのは家の中に居る人という感覚でwifeを言いたいのであれば妻の方がぴったりくると思った。
日本でも、少し前までは家内と言う言葉は使われていたが、最近では妻と言う言い方が多く使われている。
何で、妻ではなく家内と教えているのかと疑問に思って教材を見せて貰った。
そして、出版年月を見たら1991年であった。
今は、2008年である。
17年前のものである。
そこで、私は何気なくこの教材はちょっと古いねと言ってしまった。
これが騒動の原因らしい。
この何気ない言葉が騒動を引き起こす事など思いもよらなかったし、日本ではこんな事は日常茶判事である。
もっと、辛らつな事を言っていた。
口は災いの元とはよく言ったものだ。
災いになるかどうかは、その時には分からない。
災いを避けるのならしゃべらなければ良い。
これは性に合わないし出来そうもない。
精精、ここはインドである事を意識しながら、言葉に気をつけることにする。

果たして、この問題の本質は私が古いと言ったか言わないかだろうか?

ムティーさんに再会

8/20
午後からオフィスに行った。
目的は久しぶりにムティーさんに会うためである。
ムティーさんは、友人の会社の副社長で、現在はイギリスでプロジェクトを担当している。
会議の為に、久しぶりにインドに帰ってきた。
ムティーさんには、以前、バンガロールに来た時にランチに招待されていたのをコロッと忘れて日本に帰ってしまった経緯がある。
このお詫びもしなくてはならない。

オフィスでムティーさんに会い、いろいろな情報交換をした。
ムティーさんはEDIの専門家である。
EDIの話になると、突然、立ち上がりホワイトボードに何なら難しい専門用語を書き連ねる。
英語だけでも閉口するのに、その上、専門用語の羅列である。
一応、昔はコンピュータ関係に仕事をしていたので、EDIの概要ぐらいは分かるがアーキの話までされると、もう別世界に居るようである。
まだ、ヒンディー語やタミル語のほうが理解できるかもしれない。
ムティーさんは、そんな私の現状もしらないで一生懸命アーキを説明してくれている。
ムティーさんは全然変わっていない。
根っからの技術屋なのだ。
何か、ホットした。

今日は記録をまた一つ作った。
家とオフィス間の最小移動費用だ。
驚くなかれ18INRである。
初日には、オフィスへの片道で80INRを払った。
それが、今日は往復18INRで済んだ。

では、恥を忍んで経緯を説明しよう。
行きは運よくメータで行ってくれるドライバーに遭遇した。
18INRはこの時の運賃である。
大体、メータで行くとこれぐらいである。
と言うことは帰りが0INRと言う事になる。
その通りである。
実は30分かけて歩いて帰ったのである。
帰宅しようとオフィスから表通りにでると、走っているオートはほとんどおらず、たまに来るオートには乗客が乗っている。
空いているオートも来る事は来るがほとんど止まらない。
たまに止まっても、行き先を告げると黙って行ってしまう。
問題は時間帯であった。
ちょうど、帰宅ラッシュの時間帯だったのだ。
その証拠に、歩いて帰る途中で会社の前で待機している数多くのオートを見かけた。
帰宅時間には、予約されているオートがかなりいるらしい。
歩いたのは、健康の為と言いたいが乗車拒否の連発を食らったのである。
これで、借りを返すどころか連敗である。
バンガロールのオートはなかなか手強い。

やさしいラッキー


8/19
久しぶりにラッキーの事を書こう。
何から書き始めようか。
そのとたんに、またまた停電である。
確か、前は爆弾テロで中断した。
ラッキーの事を書こうとすると何がしかのハプニングが起こる。
何か、妙なめぐり合わせを感じる。

電気が復旧したので気を取り直して、ラッキーの事を書く。
私は、犬の種類には余り詳しくないのでラッキーがなんと言う犬かはわからない。
大きくて白と黒の斑模様である。
ちょっと、イギリスで狩に使っている犬に似ている。
なぜ、名前がラッキーなのかは知らない。
ラッキーの左目は赤い。
なぜ、目が赤いかは知らない。
ラッキーについては、知らない事ばかりである。

最初、ラッキーに会った時は、正直、とても怖かった。
子牛のような体をしている。
体当たりされたら、ひとたまりもない。
まして、噛みつかれでもしたら。
しかし、性格は極めておとなしい。
番犬なので吠える事は吠える。
その声は体のせいで周囲を圧倒する。
ワンワンなどというかわいらしいものではない。
変に篭ったようなウォーンといったような感じか。
アフリカに行った事がある人なら、サバンナで聞いた事があるかも知れない。
カタカタではうまく言い表せない。

ラッキーが必ず吠える場合が二つある。
一つは、牛の群れが前の道を通る時である。
この群れは17-8頭であるが、不思議な事に人間はいない。
牛達だけで整然と歩いている。
世の中を超越しているかの様である。
何処へ、何しに行くのかは皆目、検討がつかない。
多分、どこに行くのかタミル語で聞いても答えてはくれないであろう。
彼らが野良牛ではない事は、体の汚れで分かる。
また、独立記念日の時にはツノにインド国旗を付けていた。

二つ目は、人間に対して吠える場合である。
インドでは水に細心の注意が必要であり飲み水や台所ではミネラルウォータを使用している。
このミネラルウォータの配達人にはなぜか吠える。
マヘッシュさんの奥さんの話では、以前、この配達人がラッキーをこっぴどく苛めたらしい。
それ以来、彼には異常と思われるくらい吠えるようになったらしい。
配達人は身長が160cmくらいでラッキーと余り変わらない。
ラッキーが本気になれば、なんという事はないだろう。
しかし、ラッキーは只吠えているだけである。
こんな所にもラッキーのやさしさが現れている。

私はラッキーが好きだ。
これまで、インドで出会った生き物でラッキーだけは嘘を言わない。
他の生き物は、隙さえあれば騙そうと虎視眈々と狙っている。
ラッキーはインドに住んでいるが、そんなそぶりは微塵も見せない。
ラッキーは、私が心を許せる、数少ないインドでの生き物である。

インド人気質 その2

8/18
12:00頃に突然、友人の奥さんから電話がかかってきた。
要件は、午後の日本語講師がいないから1:30から講師をしてほしいというものである。
取り立てて急ぎの用事もないので時間的には問題がないが、一体、何を教えればよいのだろうか。
そこで、何を教えれば良いのかと聞いたら日本語を教えてほしいと言う。
トンチ問答のような答えに窮していると、今から教科書を届けるから至急、見てくれと言う。
教科書が届くのに40分、オフィスに行くのに30分、結局、見る時間はランチタイムしかない。
ランチタイムを潰すしかない。
ものを頼まれることは大変うれしいが、こちらにも都合というものがある。
正式な日本語教師の経験はないが、国際交流教会のボランティア日本語講師の経験はある。
全くの素人ではない。
幸いに、日本語関係の本も何冊かは手元にある。
電話を切り、何を教えるか手元にある日本語の本を見て思案していると、再び、奥さんから講師の手配がついたから講師はしなくて良くなったと言う電話がかかってきた。
こちらの都合などお構いなしに、一方的に自分の言い分を言ってくる。
これは、何も友人の奥さんに限った事ではない。
私の知るインド人はこのタイプが多い。
いざ鎌倉に備えて今晩にでも手元にある日本語の本をじっくり見ておくことにする。

日本語講師騒動は、一段落したので、午後からはCOMPLEXで買い物とランチを楽しんだ。
以前、ここで食べたPAPER DOSAとNOODLEはとても好みに合った。
今日も、一応はメニューを見たがあまりよくわからない。
そこで奮発して、このレストランで一番高い料理と大好きな飲み物であるラッシーを頼んだ。
一番高い料理は、南インドの名物料理が小皿に少しずつ入って大きなお皿に盛られて出てきた。
小皿は5皿もあり、そのうちの3皿はカレーのようなもので1皿が豆料理、残りの1皿がデザートの皿であった。
他に、CAKEとDOSAとNANNとRICEが別の大きなお皿でついた、これまでインドで食べた一番豪華なランチであった。
日本のインド料理店だと一体どれぐらいの値段になるのだろうか。
日本では食べた事のない料理ばかりなので単純には比較はできない。
味もなかなかいける。
久しぶりのインド料理に大満足した。
帰りにレジで気前よく全額を現金で払った。
一人325円の豪華ランチである。

教育大国インド

8/17
今日から、友人の子供たちの学校が始まった。
夏休みが暑くて勉強の能率が上がらないと言う理由なら、名古屋の学校や他州のインドの学校に夏休みがあるのは理解できるがバンガロールの学校に夏休みがあるのは理解できない。
しかし、夏休みが生徒ではなく先生のためにあるのなら大いに理解できる。
ただし、名称を夏季日教組既得権休暇とでも変えて頂きたい。

友人の子供が通っているのはThe International School of Bangalore (略称:TISB)という、大変、歴史があり海外から戻ってきたインド人には大人気のインターナショナルスクールで、在学期間が長いためいつも満員の状態だそうだ。
日本人は、幼稚園部:2名、小学生部2名、高等学校:1名が通っている。
2006年度より小学生以上は英語での入学試験があるため現在は少人数となっている。
当然、授業は全て英語で行われている。
イギリスの名門大学との提携もあり、進学率は非常によいらしい。

友人も子供たちは、イギリスの大学に行かせたいらしい。
そのために、今から子供たちが現地の生活に慣れるように毎年のように家族でイギリスに行っている。
とにかく、良い悪いは別としてインドでは教育に異常な程、熱心である。
日本にも子供の教育には熱心な方いるが、とても比較にならないだろう。
お金の問題だけではなく、子供の将来の留学のためにわざわざイギリスに連れて行くというような発想などする親はいないであろう。

聞くところによると、地方の町や村では優秀な子供が居ると、その地域のみんなで学費を出して大学に行かせるらしい。
その子供が事業に成功して町や村に仕事をもたらせてくれる事を期待しているらしい。
何百人、何千人の中から選ばれて、高い勉学の動議を持ち、大勢の人の期待を受けた、これらの学生が勉強しないはずはない。

実は、私がインドに来た理由の一つがこれである。
高い勉学の動機を持つインド人技術者を日本品質のインド人技術者に育成する事である。
これは在職中から今後のライフワークの一つとして考えていた。
SHINのインド日記では、この事にあまり触れていないので心配する方もいるかも知れないが、
現在はインドでも超一流と言われているIT会社であるWIPROの技術者をターゲットに活動している。

WIPROの技術者であればIT技術に関しては問題ない。
後は、彼らの日本語運用能力を向上して日本語が仕事で使えるようにして、日本企業での仕事力を育成すれば良い。
私の考えで育成したインド人技術者が日本企業から喜ばれ、インド人技術者と日本企業がともにハッピーになれば、私の挑戦は成功と考えている。
しかし、挑戦までの道のりは長いだろう。
まず、現在の壁は優秀なIT技術者をどうやって確保するかがある。
日本でも難しいのに、ここはインド。
まして、ツテは一切ない。
文字通り、一からの挑戦である。
新聞に広告を出すか、パンフレットを配るか、もっと良い方法はないか思案している。
常に、初心だけは忘れないように心がけている。
育成する技術者は、とりあえずは3-5名くらいを考えている。
ちょっと少ないように感じるが、何か新しい試みをする時は5名以内がベストというのが私の持論で、成功も失敗もあったがこれまでもこのやり方でやってきた。
今回も、悔いを残さないためにこのやりかたでやりたい。

多治見の夏の暑さが懐かしい

8/17
朝晩の風が少し寒さを感じさせる。
日本では、帰省ラッシュが始まっている事をインターネットで知る。
多治見の夏の暑さが懐かしいと言ったら、帰国した時に総スカンを喰うだろうか。
バンガロールは標高920mである。
そして、旅行を計画しているOOTYは、標高2,240mの所にある。
確か、100mで0.6度だと思うので、OOTYでは13度も気温が低い事になる。
今の、バンガロールの正確な気温はわからないが新聞では今日は20-25度と予測している。
すると、OOTYは7-12度と言うことになる。
日本の冬に近い服装が必要だ。
まさか、今の時期にインドでヒマラヤを除いて7-12度の場所がある事や、そこに行く事になろうとは想像していなかったので防寒具などは持参していない。
さすがに、今の時期にバンガロールでも防寒具は売っていない。
ガイドブックを調べると、OOTYの町にはチベット人街がありそこに防寒具があるらしい。
今回も、現地調達の方針で行くことにする。
方針され決まれば、心配することは何もない。

今日は日曜日。
ジーニアさんの休みが金曜日から日曜日になったので、ジーニアさんを誘って、最終日のフラワーショウが行われているダールバーク植物園に行くことにした。
午前中に家でパンを焼いて、向こうに行って食べようと考えた。
軽いピクニック気分である。
ところが、ジーニアさん一人と思っていたら、インド人の友達を連れてきたために私たちを入れて総勢4人になってしまった。
オートには、大人4人は乗れない。
女3人に男1人。
結論は決まっている。
黙って私はお留守番することにした。

ジーニアさんは、フィリッピンから一人でインドに働きに来ている。
一人で出歩くのは怖いので、外出する時にはいつもインド人の友達を連れて行くのだそうだ。
外国人でオートを普段から乗り回して偉そうにしているのは、私たちぐらいかも知れない。
観光客の日本人ではまずいないし、海外赴任で来ている日本人には車と運転手が付いている。
そう言えば、以前に会った某企業の御仁もオートには乗ったことがないと言っていた。
確かに、車があれば苦労はない。
強烈な臭いも砂塵にも無縁である。
私たちも車と運転手がほしい。
しかし、負け惜しみで言えばオートにもオートの良さが沢山ある。
ディズニーランドのアトラクションにも負けないドライバーの運転技術とオートのドライバーとの人間味溢れる料金交渉である。

最終日のフラワーショウは人と人で溢れかえっていたらしい。
そのせいか、至る所にゴミの山ができており食事どころではなかったらしい。
数々の出店も人の山でいっぱいで買い物どころではなかったようだ。
お留守番が正解であったようである。

ここで、一つだけ追記しておきたい。
先日、オートでフラワーショウを見にダールバーク植物園に行った時に、私たちは、最初に着いた門では入場券を販売していないとドライバーに言われ、他の門までわざわざ遠回りした。
実は、最初に着いた門でも入場券は買えるらしい。
110INR-70INR=50INR、ドライバーに負けたことが分かった。
今度こそは、絶対に100INRは勝つ。

commercial St探訪

8/16
バンガロールには、有名なmallとStがいくつかある。
Mallには文字通りお店が集まっていて、Stには両端にお店が並んでいる。
時間に任せて、1ケ月余りで有名なmallとStはほぼ踏破した。
ガイドブックに載っていて、未だ行っていないのはcommercial Stである。
commercial Stの近くのM.G loadやBRIGATE loadには何回か行った。
今回は、commercial Stだけにターゲットを絞って行く事にした。

commercial Stは、M.G loadから北に3本入った所にあった。
家から最長距離のオートの旅である。
時間にして約50分、オート代は奮発して110INRを払った。
オートを降りると、同じような道が何本かあり、そこには同じようなお店があり、同じような数の人が歩いている。
一体、どこがcommercial Stなのか皆目検討がつかない。
歩いている人に聞いても、異なる道をcommercial Stだと教える。

インドでものを尋ねるときには、注意が必要である。
それは、知らないと言う答えがほとんど返ってこないことである。
例え、知らないことでも平然と自身満々に答える。
どうも、人にものを聞かれて答えないことは失礼に当たると考えているらしい。
文化の違いと言えばそれまでであるが、これにはいつも困惑させられる。
インド生活の知恵として、同じ質問を何人かの人に聞くことにしているが、答えが異なった時の知恵が未だついていないので、お店の看板を一生懸命に見てcommercial Stを捜した。
お店の看板には、運がよければ住所らしきものか支店名に通りの名前が入っている。
別の捜し方は、英語で書かれたお店の看板が多いか知っているブランド名を捜す方法である。
有名な通りには、ブランド店が多いのは世界共通の真理である。

地図を手にしばらくの間、彷徨する。
地図があるなら、地図を見せれば良いのではと考える人がいたらインド生活は失格である。
何しろ、職業人であるオートのドライバーでさえ地図の見方は知らないのである。
まして、英語で小さな字で書いてある地図など、誰も見ようともしないのは明白である。
結局、commercial Stはオートを降りた場所から10分ほどの所にあった。
commercial Stは、歩いてきた道とは明らかに違っており、お店の看板を見るまでもなく、一目瞭然であった。
名前の通り、おしゃれなお店が両端に並んでいた。
特に、サリーやパンジャビドレス用の布を売っているお店が目立つ。
以外に思うかも知れないが、バンガロールは絹の生産地としても有名である。
さすがに絹ではないが、サリーやパンジャビドレス用の布は200INRから手に入る。
絹でも600INRから手に入る。
これには、サリー本体は勿論、下に着るシャツの仕立て代、上に羽織る布まで、全部含まれての値段である。
布の長さは5-6mある。
これで500円から1500円の買い物である。

commercial Stには、私の好きな骨董品のお店も数多く見かけた。
そのうちの2-3軒を見て回った。
インド古代らしき、石や真鍮の仏、サンダルウッドの木彫などが所狭しに置かれていた。
ほとんど値段はついていない。
こういうお店は要注意である。
客の服装や態度を見て、吹っかけてくる。
特に、外国人にはべら棒な金額をいってくる。
インド政府は、外国人の訪印を歓迎しておりインド人の外国人に対する不当行為については厳しく取り締まっている事を日本に住むインド人の友人から来る前に聞いた。
政府認可番号を調べ、ポリスに電話すると言えばいいらしい。
特に、オートには抜群の効き目があるらしい。
この必殺技はこんな所で使うのは勿体無いので、いざという時までとって置くことにした。

commercial Stでは、スイーツを買っただけで家に帰った。
どこの国でも観光客が来る場所では、物の値段は高くなる。
インドも例外ではない。
以前の私なら、当然のようにcommercial Stで外国人価格でいろいろな買い物をしたと思う。

娘とインドの誕生日

8/15
8 月15日は娘の誕生日であり終戦記念日でもある。
また、インドではこの日が独立記念日にあたる。
8 月15日は、我が家にとっていくつもの記念の日になる。

まず、素直に娘の誕生日から祝いたい。
娘は昭和生まれで相応な年になった。
娘とは特に機密協定は結んでいないが、3年前から年は言わないように気を使っている。
娘の名前は奈津子と言う。
命名は私である。
娘は御巣鷹山の日航機墜落事故の晩遅くに生まれた。
奈津子と言う名前には、8月15日は真夏であることや活発で元気な子に育ってほしいと言う願いも確かにある。
しかし、一番大きな理由は、大好きな小説家の題名から決めた。
小説家の名前は五木寛之、小説の題名は「奈津子、その四季」である。
四季を感じる素直な感性と四季のように芳醇な人生を送ってほしいとの思いから命名した。

インドには人生を春夏秋冬と同じく、学住期、家住期、林住期、終住期の4つに分けて考える文化習慣がある。
学住期は、自分を高めるために一生懸命に勉強する時期である。
家住期は、家庭を持ち一生懸命に働く時期である。
林住期は、これまでの実りをゆっくり謳歌する時期である。
そして、終住期は、清々と終わりを迎える時期である。
インドに来て、同じ人生の過ごし方でも日本とインドでは随分と異なるものであることを知った。
私は、このインドの考え方を素敵だと思う。
そして、今、少し早いが林住期を過ごしている。
できたら、子供たちにも漫然とした人生ではなく、インドの考え方のように四季に富んだ人生を送って貰いたいと思っている。

窓を開けると、どこからか懐かしい音が聞こえて来る。
鼓笛隊の太鼓と笛の音である。
今日は、インドの独立記念日でもある。
インドは1947年8月15日にイギリスから独立した。
確か社会の時間に、インド独立の基礎は1945年7月にイギリスの選挙で労働党が勝利を収め、政治指導者に新たな流れが生まれたことに遡ると習った記憶がある。
独立に至るまでのインドは、ムスリムとヒンドゥーとの間でそれこそ血で血を洗うような闘争を繰り返してきた歴史がある。
それは、宗教が絡むものであり1946年8月のカルカッタ・ヒンドゥー教徒大虐殺に見られるような凄まじいものである。
1947年8月15日に独立してからも、闘争の火は沈下するどころかますます燃え上がった。
そして、ついにインド最大の悲劇が起こった。
マハートマー・ガンディの暗殺である。
マハートマー(偉大な魂)は彼の死後の呼び名である。
正式名称はモハンダス・カラマチャンド・ガンディと言い、1869年10月2日グジャラート州ポルパンダルで、この地方の宰相を父として生まれた。
ガンディはサティヤーグラハの名で知られる非暴力不服従抵抗政策で余りにも有名である。
しかし、不幸にもこの全ての当事者集団の利益を考えて行動することが、一部のヒンドゥー教徒の怒りを買う結果になった。
そして、1948年1月30日、祈祷集会に出かける途中のガンディは熱狂的なヒンドゥー教徒に暗殺されることになる。

日本は植民地化された事がない国である。
したがって、終戦記念日はあるが独立記念日はない。
インド滞在中に独立記念日を体験できるとはラッキーである。
ラッキーと言えば爆弾騒動で中途半端になったラッキーの事を思い出した。
でも、今日もラッキーの紹介はお預け。

3日前にバンガロールの街中に出た時に、mallや公園や広場がインド国旗や装飾で溢れかえっていたのを思い出した。
どこか適当な祝賀会場に行こうと、新聞を隅から隅まで探したが一向に見当たらない。
多分、祝賀は政府関係者だけで行うのだろう。
そう言えば、オートのドライバーが独立記念日には、至る所で交通規制があり商売にならないと言っていた。
なにせ、植物園にVIPが一人来るくらいで、音楽隊まで出て大騒ぎする国民性である。
今日は、どのくらいの交通規制と音楽隊が動員されているのであろうか。
祝賀会場には、入れなくても折角だから独立記念日の雰囲気だけでも味わいたい。

オートを捕まえて街中まで走る。
行き先は、KSTDC情報センターである。
KSTDCはKARNAKATA STATE TOURISM DEVELOPMENT CORPORATION INFORMATION CENTERと言う恐ろしく長い名前である。
インドでは、このように長い名前が多く、その上、やたらに名称を略す。
略し方にも規則などなく、人々が自分流に勝手に略しているので、ほとんど分からない。
最初は、どうやって意思疎通をやっているのか不思議に思っていたが、注意深く聞いていると、どうやら道路の名前で場所の見当をつけているらしい事が分かって来た。
そこで、今日は場所の番地だけではなく、予め地図でKSTDC情報センターまでの道路順をチェックしてドライバーに告げた。
一発で目的地のKSTDC情報センターに行けた。
また、一つ知恵がついたような気がする。
この年になって、自分が賢くなっていくのを実感するのは気分の良いものだ。

KSTDC情報センターは、大きなバス・ステーションの傍にあった。
いや、このバス・ステーションを大きいというのは間違いである。
正確に言い直そう。
巨大である。
歩道橋の上から、ざっと、見渡しても300台は見える。
多少、インド流に染まりかけているが大げさではない。
市内バスや長距離バスは、ほとんどここから出発している。
私はMYSOREとOOTYに行くバスをチェックした。
OOTY行きは7番乗り場である。
MYSORE行きはいろいろな所から出ているらしく、切符売りのお兄さんが盛んにMYSORE・MYSOREと言いながら集客していた。
OOTYまでは、8時間、370INRの旅である。
知識と楽しみが、また一つ増えた。

日本!!チャ!チャ!チャ! 

8/14
メールによると、今、日本はオリンピックと帰省と高校野球で盛り上がっているようである。
お盆休みの会社も多いと思う。
インドでは、当然、お盆休みと言う風習はない。
しかし、今年は明日(8/15)の金曜日が独立記念日に当たるので3連休に入る。
GAOやCOCHIなどの西海岸のBeachでは、観光客の予約が凄いらしい。

私はオリンピックも高校野球も大好きである。
両方とも見てみたいがNHK国際放送を受信しない限り無理な話である。
NHK国際放送については、こちらに来る前にいろいろと調べた。
NHKにも何回かメールで確認を取ったりもした。
残念ながら、インドではNHK国際放送を簡単に見ることはできない。
それは、地元にNHKと契約しているケーブルテレビ局がないからである。
例えば、マレーシアではASTOROと言う現地のテレビ局と契約すれば、簡単にNHK国際放送が見られる。
インドでは、個別に衛星用のパラボラアンテナを取り付けなければならない。
このパラボラアンテナは価格もさることながら、その大きさは並ではない。
直径がゆうに2mはある代物である。
また、契約もホテルや学校や公共施設に限られる。
そんな訳で、仕方なくあきらめた経緯がある。
こちらに来て、どうしても篤姫が見たいと言う家の姫の御要望に応えるために、いろいろと走り回り衛星放送が見られるホテルを見つけたが、ここはWORLD契約でありニュースしか見ることができなかった。
ニュース以外を見るにはPRIME契約が必要である。
結局、バンガロールではPRIME契約のホテルは見つからなかった。


しかし、篤姫だけはどうにか見ることができるようになった。
FILEBANK経由でDOWNLOADして DIVXで見る方法である。
これは、東京に居る長男のアイディアである。
DOWNLOAD時間は1本で約2時間30分かかる。
根性と忍耐でDOWNLOADしている。
何しろ、停電が良くあるのでDOWNLOADしている2時間30分はじっと画面を見て停電しないように祈り続けている。

さて、本題はオリンピックである。
今朝、たまたまテレビを付けたら水泳がやっていた。
そして、たまたま日本の選手が出場していた。
北島選手の200m平泳ぎの決勝である。
私の家のテレビでは1チャンネルで1日中オリンピックを放送している。
朝と夜を中心に見ているが、日本ではマイナーな競技ばかりを放送している。
アーチェリィ、射撃、ボート、バトミントン、乗馬などである。
私が見たいのは、柔道や野球や水泳などである。
日本のテレビが放送するこれらの種目にはインドの選手はほとんど出場しない。
したがって、日本人選手を見たのは北島選手が初めてである。
そして、金メダル。
無条件に素晴らしい。
金メダルと言えば、インドで初めて個人競技の金メダルリストが誕生した。
男子10m射撃である。
彼はしばらくの間はインドの英雄になれる。
柔道は見られなくて正解のようだ。
野球も危ないようだ。
がんばれ日本!!
チャ!チャ!チャ!

魅惑のインド料理とインド米

8/13
寝る時間なのに、未だ口が辛い。
昨日の帰りにForum mallで食事をした際に、あまりにおいしかったので持ち帰った料理を夕食に一生懸命に食べた。
食べた時にはそれほど感じなかったが、今頃になって辛さが襲ってきている。
水やマンゴジュース、果てはアイスクリームまで食べたが収まりそうもない。
こんなに閉口しているにもかかわらず、また食べてみたいと思う料理である。
日本でも何回か食べた事はあるが、これほどのおいしさと辛さは味わった事はない。
インド人はどうやって、この味を生み出したのだろう。
インド人の才能を問われたら、0の発見とこの料理の調味料の発見を挙げよう。
そろそろ、この食べ物の正体をあかそう。
タンドリィチキンとチキンテッカである。
どちらも、独特のスパイスを大量につけてタンドリィと言うインド風釜で焼く。
違いは、タンドリィチキンは足を焼いて骨付きのまま食するが、チキンテッカは肉をぶつ切りにして骨を除いてある。
当然、スパイスは同じである。
とにかく、絶妙な味である。
日本で食べていたのは、同じタンドリィチキンと言う名前の別の料理ではないかと思わせるくらい美味なのである。
おいしい食べ物には、4つの条件があると言われている。
材料と調味料と調理人の腕と雰囲気である。
どれもが必要だとは思うが、もし、これらに優先権をつけるとしたら、タンドリィチキンとチキンテッカの場合は間違いなく調味料が第一位である。

タンドリィチキンとチキンテッカが出たついでに、インドでの食べ物について紹介しておきたい。
インドではすべての食べ物がカレーである事は前にも触れた。
レストランやお店にあるメニューには、MASARAと言う文字が必ずある。
よく行く、KFCやMACのメニューにもある。
主食は、北はナンであるが南ではお米をよく食べる。
種類も豊富でTotal mallでは10種類くらいのお米を売っている。
総じてお米は日本のより長くパサパサしている。

実はこのインド米をどうにかして日本米のようにごまかして食べる事ができないか、密かに研究している。
現在までの研究成果では、3つの食べ方を見つけ出している。
一つ目は、チャーハンのように炒めてしまう食べ方である。
おまけに、こちらのパイナプッルがおいしいのでパイナプッルチャーハンにすれば最高である。
これは、炒めてしまえばパサパサ感は却って好都合である事を利用した所が研究成果である。
二つ目は、玉丼や親子丼である。
本当は大好きなカツ丼を研究したかったが、豚肉は手に入りにくいので鶏肉で我慢している。
これは、ご飯の上にかけたものでご飯の味を消すと言う所が研究成果である。
三つ目は、卵スープの中に入れて食べる方法である。
オジヤのようにして味が紛れるようにと考えたものである。
これは、牛乳の中にパンを入れるラッキー(友人の愛犬)の食事を見てヒントにしたと言う所が研究成果である。

そう言えば、友人は先週の日曜日には日本から帰国したハズである。
未だ、日本米のお裾分けが届いていない。

やはり、ご飯は純粋に味噌汁と漬物で食べる白米が一番である。

バンガロールを散策


8/12
インドに来て思いの他、これまで慌しい毎日を過ごして来た。
考えてみると、私たちはバンガロールから一度も出た事もなければ市内観光もしていない。
以前は、僅か6日間の滞在にもかかわらずMYSOLEにも遠出した。
そこで、今日はバンガロールの市内観光を兼ねて少し散策をすることにした。
最初の目的の場所はST. Patrick教会である。
ST. Patrick教会は、以前に、地元の新聞DECCAN CHRONICLEに落ち着けるスッポトとして紹介されていた。
ST. Patrickという名前も素敵だったので、ぜひ、行ってみたいと思っていた教会である。
地図で調べるとST. Patrick教会はバンガロールのほぼ中心にある。
先日、行ったCAUVERY Arts & Crafts Emporiumの近くである。
時間があったらCAUVERY Arts & Crafts Emporiumにもよってみる事にしよう。
そして、私が大変気に入ったサラスバティの木彫にも再び会ってみたい。
まだ、売れないで大きな顔をして店内に居座っているだろうか。

早速、家の近くでオートを捕まえる。
250INRと言われる。
以前の私なら何の疑問も持たないで平然と席にもたれ掛かっていた。
今では、250INRなんてお話にならない。
250INRあればバスでMYSOREの近くまで行ける。
オートの運転手はインド人以外には、決してメータでは行かない。
相場の2-3倍は吹っかけてくる。
こういうふざけた値段の時は、あまり多くを言わないで一言だけ言えばよい。
「Go away」
このくらいの事で行ってしまうオートはまずいない。
ほとんどのオートは立ち去らない。
そこで、次は淡々とこう言えば良い。
「I was stay in Bangalore for 1 Year」
私たちは先月にバンガロールに来たばかりである。
多少、英語が正確ではないが構わない。
Will がWasになっているが大した違いはない。
私たちは1年間、滞在するつもりである。
It’s OKの世界である。

未だオートが居たら、もう完全にこちらの勝ちである。
一気に畳み掛けてこう言う。
「I know Bangalore rule is by meter」
「By meter is ok?」
この方法で今日も250INRの言い値の所に70INRで行けた。
しかし、この方法は雨が降っている時や夜には通用しない。
雨の時や夜には、力関係が完全に逆転する事を忘れると一晩は外で夜を明かす事になる。

ST. Patrick教会はM.G loadとBrigade loadの交差点から南に500mくらい下った所にあった。
周りをBrigade loadとMuseum loadのブランドショップ街に囲まれているが、付属の小中学校と共に静かな佇まいの一角にある。
バンガロールの中心街であるということを除けば、なかなか風情がある場所である。
ちょうど、下校時なのか生徒が大勢歩いている。
歩いているのは、男の子ばかりなのでたぶん男子校なのだろう。
学校の周りの道路には迎えの車が沢山来ている。
教会の付属でもありST. Patrick schoolという名前からしても、きっと名門校に違いない。
従来の好奇心が顔を出し、生徒の仕草、態度、それに顔をつぶさに観察した。
やがて、一つの結論に達した。
今のままなら、10年後には日本は間違いなくインドに追い抜かれるだろう。

さて、次の目的地はGovernment Museumである。
Government Museumは、CUBBON Parkの中にありST. Patrick教会からそれほど遠くはない。
私たちは、歩いてみることにした。
とにかく、インドでは我ながらよく歩いている。
30INRのオート代がもったいないだけではない。
街の中心街では、中途半端な距離ではオートに乗車拒否されるからである。
これにも道理があり、バンガロールの街中はすざまじい交通渋滞である。
オートは時間制ではないので近くの客では全く採算が取れないのである。

ST. Patrick教会からGovernment Museumまでは、ゆっくり歩いて30分くらいである。
途中に歴史を感じさせる学校やAIRPORTホテル、あるいはBritish Libraryなどオートで通り過ぎるのはもったいないくらいの雰囲気のある通りである。
インドのホテルをじっくり見る機会は初めてだったのでAIRPORTホテルに寄り道した。
名前はAIRPORTホテルだが、外国のビジネスマンはほとんど見かけない。
ホテルというよりも寂れた寄宿舎かモーテルのようだ。
グレードが驚くほど低い。
完璧に名前負けしている。
唯一、ホテルらしいと言えばガーデンレストランがある事くらいである。
Tea timeと洒落込もうとも思ったが、回りにゴミが散在していたので止めた。
インドで食事するときは店内だけではなく、周りのゴミの量も一つの判断材料にすると良い。

Government Museumは1886年に建立された歴史を感じさせるレンガ作りの立派な建物である。
バンガロールの市内観光のパンフレットにも載っていたので、多少は期待して入った。
しかし、中には石像や記念物、優れた彫刻の断片が単調に置かれて居ただけだった。
ものの5分も経たないで後にした。
料金は4INRなので期待するほうが無理なのかも知れない。
この料金で隣接するVENKATAPPA Art Galleryにも入れる。
僅か10円で2つの文化的な施設に入場させて貰えるのである。
文句を言うほうがおかしい?
確かに、文句を言うほうがおかしかった。

VENKATAPPA Art Galleryには、マイソールの芸術家VENKATAPPAの風景画と20世紀インドの芸術家の作品が展示されていた。
VENKATAPPAの風景画は、そのほとんどがOOTYを描いたもので、私は興味深く一つ一つの絵を見て回った。
風景画も素晴らしいが、私は日本を発つ前からOOTYと言う場所に興味があり、今回の滞在中に2-3回は訪れたいと思っていた所である。
VENKATAPPAに愛され描かれていたOOTYは期待通りの所である事を十分に予感させた。

世界で一番おいしいパパイヤとマンゴ

8/11
今日は、インドで、いや世界で一番おいしいパパイヤとマンゴを食べた。
例の公園の兄弟のプレゼントである。
大金持ちからの高価なプレゼントもうれしいが、少ないお金から無理して貰ったプレゼントも うれしいものである。
こちらでは、パパイヤとマンゴはそれほど高価ではない。
20INRも出せば買える。
しかし、兄弟にとってはパパイヤとマンゴは、とても高価なハズである。
おそらく、彼ら自身もなかなか食べることはないだろう。
そんなパパイヤとマンゴを私達のために買ってくれた。
彼らは、友達とも遊べず、テレビも見られず、映画も見られず、家の手伝いや親の仕事の手伝いに振り回されている。
それにもかかわらず、何故、このように人の気持ちを思いやれるのだろう。
年は、未だ13歳と10歳である。

人が他人の為に何かをするというのは、自分に余裕があるときが多い。
例えば、退職後のボランティア活動や高額所得者の多額の寄付などである。
これらは、本当に他人の為だけにしていることだろうか。
兄弟の思いやりに接して改めて考えさせられた。

私は高額所得者になったことがないので多額の寄付の経験はないが、ボランティア活動の経験は少しある。
数えてもこれまでに、ざっと15くらいは行ってきただろうか。
ボランティア活動は、どちらかと言うと退職後よりも仕事をしている時に活発にしていた。
今回のインド滞在には、その中の一つである日本語教師のボランティア活動は役立つと思う。
私達の住む可児市はブラジルから働きに来ている人が多く住んでいる。
彼らは家族同伴で来ており、子供の教育問題が生じている。
そこで、可児市の国際交流協会が子供達に日本語を教えるボランティア活動を行っている。
これに私たちは参加した。
日本語教師ボランティア講習会は7ケ月に渡り毎日曜日に行われた。
学校を卒業以来、こんなに長期間、緊張して学習した経験はなかった。
その甲斐があって、二人とも無事に卒業できた。
一応、国際交流協会公認の日本語教師ボランティアである。
今の所、こちらでは日本語を教える予定はないが何かの時にきっと役に立つと思う。

ボランティアとは、自らが進んで他人のためにやることである。
他人のためにやることではあるが、自らが進んでやると言う価値判断を入れることが大切である。
自らが進んでやるので無報酬の場合が多い。
よく無報酬でやる事をボランティアと言う人がいるが、揶揄としてなら良いがそう認識しているのなら認識を代えたほうが良いと思う。
ちなみに、ボランティアの始まりは、映画で有名な自ら進んで家族の住む町を守ったアラモ砦の勇者達である。
あのジョンウェインの名演技が、今も忘れられない。

滞在2ケ月目

8/10
バンガロールの朝は、いつもと同じように深い静寂の中で明けた。
思えば、1ケ月前、空港に降り立ったときは漠然とした不安と期待が交錯していた。
この1ケ月で実にいろいろな経験と知識を得た。
その中には、楽しかった事もイライラした事も怖い体験もあった。
インドは多様で混沌とした国であることを強烈に再認識させられた。
しかし、今では生活基盤もほぼ整い自分たちの生活ペースで徐々に生活できるようになった。
今日からは、いよいよ滞在2ケ月目に入る。
気持ちを新たにして、貴重なこの滞在を更にエンジョイしていく事にしよう。

この「SHINのインド日記」第二巻もご愛読の程をお願いしたい。

朝、BDA公園に行く。
最近では、Walkingよりも例の家族に合うのが目的になりつつある。
前に来たときに、今日は折り鶴を教えることを約束している。
しかし、折り紙は持参していない。
先日、Forum mallで見つけたギフト用の包装紙で代用するつもりで準備してきている。
最初に、一通りの折り方を見せる。
その後、子供たちに自由にやってもらった。
すると、姉の方は起用にも、ほぼ一人で鶴を折った。
とても感心した。
折り紙をしていると、彼らの両親がやってきた。
彼らに関して、いろいろな話が聞けた。
彼らの故郷は、同じカルナカタ州でもバンガロールから約70km離れた場所だそうだ。
名前は現地の発音なので良く聞き取れなかった。
当然、彼らに日本の事を聞いても何も知らない。
それどころかインドの事も、昨日、私たちが訪ねたバンガロールの植物園のことすら知らない。
他の州や町から来た人々の中には、テレビもなく、新聞もなく、近所付き合いもなく、ほとんど徒歩圏内で毎日を生きている人たちが結構いると聞く。
この家族もきっとその中に含まれるのかも知れない。
しかし、そんな生活の中でも、家族が助け合い、絶えず笑いがあり、楽しそうにしているのは何故なのだろうか。
子供達の瞳は輝きに満ち溢れ、大人達は毅然とした態度で振る舞っている。
他人との比較で考えることが習性になってしまっている私にはなかなか理解しがたい事である。もしかすると、インドに滞在中には解決できない深いテーマかも知れない。

公園では、兄弟とその両親と楽しい国際交流のひと時を過ごした。

海外に滞在する時には、折り紙に限らず出来る限り現地のものを使う工夫をしている。
これは、これまでの少ない経験から学んだ知恵である。
海外では、欧米を除けば日本のように物が豊富ではない。
日本から持参するのも良いが荷物になるし工夫する楽しみもなくなる。
このように不便さを楽しめるようになれば一流の国際人である。

実は偉そうに言っているが、恥ずかしながら今回も現地にあることを知らないで持ってきたものがいくつかある。
代表的なもので言えば、例えば、蚊取り線香である。
インドでも蚊取り線香は売っている。
色は茶色だが、形も匂いもまったく同じものを売っている。
いわゆる、ベープのようなコンセントに差して使用する蚊取り器さえ手に入る。
これには、All outと言う名前がついている。
Good namingである。
下のMaheshさんの奥さんにAll outを売っているお店を教えてもらった。
この時、Maheshさんの奥さんに「ご主人と喧嘩した時にもAll outを使うのですか」と言ったら思いのほかうけた。
なぜか、こんな事がやけにうれしかった。
Maheshさんの奥さんは喧嘩した時にAll outを使って、ご主人を追い出した事はないそうだ。
これは念のため。
Maheshさんの奥さんを見習って、私たちもAll outを他の用途で使うことのないようにしたい。

最近では、このAll outのお陰で私たちの寝室ではあの何とも言えない音の主は見かけない。

第一巻完了

8/9
朝、新聞を見ていたら市内の植物園でフラワショーが開幕するとの記事を見つけた。
インドのフラワショーとは一体、どんなものなのだろうか。
朝が早いにもかかわらず、私の好奇心はすぐに目覚めた。
植物園はラールバーグ植物園と言い、町の中心部の南側にある。
広さは96ヘクタールもあり、18世紀に造営され赤いバラが咲き乱れることからこの名前がつけられた。
ラールバーグとは、赤い庭園と言う意味だ。
植物園には、樹齢何百年もの多くの古木や珍しい熱帯植物や温室などを有している。
日本でもこれだけの規模と種類のものはそれほど見かけない。
驚いたことに道は整備され、芝生はきれいに刈られ野良牛などは1頭もいない。
野良犬(野犬ではない)は数匹、見かけた。
フラワショーは、大きな温室の中で行われていた。
日本でも馴染みのスイトピーやダリヤ、菊までもが展示されていた。
残念なことに、花はいずれも鉢に入れられ無造作に置かれているだけである。
私は園芸が好きで草花を育てているが、私にやらさせた方がぐっと花が引き立つと思う。
フラワショーは想像していた通りのものであったが、園内は想像以上に広大できれいである。
フラワショーの行われている温室を出て園内を歩いていると、前方から白い車5-6台が猛スピードで来て、私たちのすぐ近くを走り去っていった。
しばらくすると、なにやら音楽が聞こえてきた。
音のする方に言ってみると、大勢の警察官と音楽隊らしき人々がいた。
音楽はこの人々が演奏していたものだった。
中学校の吹奏楽部にも遠く及ばないものであるが一生懸命に演奏している。
もちろん、曲名は知る由もない。
しばらく様子を伺っていると、傍にいた人がministerだと教えてくれた。
インドは官僚が顔を利かせているとは知っていたが、これほどのものとは考えていなかった。
静かな園内を猛スピードで走り、下りる時には歓迎の生の音楽付である。
今度、生まれたらなりたいものとして、インドの官僚も候補に入れよう。

今日で滞在1ケ月、私たちの計画はどうにか順調に進んでいる。
これまでの成果を簡単にまとめて「SHINのインド日記」の第一巻を完了とする。
A.期待通りだったもの
インド人の温かさ
IT技術者の勤勉性
バンガロールの快適な気候
 きたない道路
B.期待していなかったもの
爆弾テロ
野良牛と野犬
C.手に入れたもの
パスポート 3
就労ビザ 4
滞在許可書 5
家具一式 3
家電一式 4
観葉植物 3
ガス 4
自宅電話(080-41108282) 2
携帯電話(090-9739300039) 2
オートリクシャの交渉術 5
インターネット環境 4
使用人 2
お餅、マーボ丼の素 2
多くの友人 3
新聞 2
               数字は難易度

--------------------------------第一巻完了---------------------------------------

アイロン屋

8/8
インドにはアイロン屋なる職業がある。
道端に1畳くらいの台を置き、その上でアイロンをかける。
以前から、気になっていたがシーツが汚れたので洗濯してワイシャッツ2枚と枕カバー2枚と一緒にアイロン屋に出してみた。
1枚が2.5INRである。
全部で4枚なので10INR(25円)になる。
シーツもワイシャッツも同じ値段である。
何だか得した気分になった。
ざっと考えてもシーツはワイシャッツの4倍はある。
それが同じ値段で2.5INRで良いとは。

アイロン屋は最初にワイシャッツにアイロンをかけた。
手際が良いとはおせいじにも言えないが、一生懸命にやっている。
次は、枕カバーを器用にかけた。
最後はシーツである。
アイロン台よりは明らかに大きい。
どのようにするのか興味深く見ていた。
すると、アイロン屋はシーツをおもむろにたたみアイロン台の上に置くと、その上から無造作にアイロンをかけ始めたではないか。
そして、裏返しをするとなく仕事を終えた。
私の期待は見事に裏切られた。
1畳のアイロン台に乗るものはすべて2.5INRなのである。
小さなハンカチも巨大なシーツもお同じ値段になる。
妙に説得力がある。
変な期待をした自分が恥ずかしい。

昼にForum mallで約束しておいたWrite boardを買い、夕方にComplexで大型のOvenを買った。
これで、私と妻が計画しているIT技術者とBaking教室に必要な設備と資材が揃った。

テレビチャンネルは200チャンネル

8/7
確か、私の記憶が正しければ、明日からは北京オリンピックのハズである。
しかし、こちらのテレビでは、まったくその気配が見られない。
テレビのチャンネルは200チャンネルもあるが、オリンピックのオの字もない。
北京オリンピックには批判的であるが、実は秘かに楽しみにしていた。
それが、まったく見ることが出来なくなるかも知れない。
よーく、考えて見ればインドのオリンピック選手は余り見たことがない。
自国の選手が出ないのに、テレビ放送する訳があるはずもない。
きっと、国営チャンネルのニュースの時間にそれもチョロと流れる程度かもしれない。
あきらめないで、出来る限りいろいろなチャネルを探してオリンピック放送を見てみたい。

テレビチャンネルは200チャンネルあると書いた。
嘘ではない。
時間に任せて、すべてのチャンネルを調べたので間違いはない。
ほとんどが期待通り、歌とダンスとドラマである。
恐ろしいことにドラマの中にも歌とダンスがある。
ニュースなどは5%もない。

チャンネルが多いのは放送技術が発達しているからではない。
多言語なためである。
ヒンディ語、タミル語、カンナダ語、テルグ語と英語である。
これらは言葉も文字もまったく異なる。
当然、英語は分かるがほかの文字はまったく区別がつかない。
ヒンディ語はなんとなく上が一列に揃っているとか、タミール語はなんとなく丸いとかくらいである。
きっと、日本語の特に漢字を見た外国人も同じように感じるのではないかなと思ったりした。
ある意味では、貴重な体験である。

夜になって、下の友人の子供たちが遊びにやって来た。
彼らは、母親の故郷に2週間ほど行って昨夜遅く帰ってきた。
例のPowerful Grand fatherが要る所である。
Powerful Grand fatherは私のことを覚えてくれていて元気かと聞いていたと言った。
うれしい限りである。
健康と時間が許せば、ぜひチェルチィを訪れてみたい。

これ幸いに、子供たちにオリンピックのことを聞いた。
さすがに、上の子はオリンピックのことを知っていた。
懸命にチャンネルを調べてくれた。
どういう訳かテレビによってチャンネルが異なるようだ。
そして、ついに見つけ出してくれた。
私の家ではオリンピック放送は1チャンネルである。
明日からの楽しみがまた一つできた。

やはりインド人は油断できない

8/6
教室に使うホワイトボードを取りにForum mallに出かける。
ホワイトボードは先週の木曜日に注文していた。
約束では、先週の金曜日に在庫の確認の電話があってから取りに行くことになっていた。
先週の金曜日に電話がなかったので延び延びになっていた。
売り場で確認すると、私たちが注文したホワイトボードは日曜日に他の人が買っていってしまったとの事である。

私たちが追求すると他の人に売る前に確認の電話をしたが連絡が取れなかったと主張する。
おかしな話である。
ホワイトボードを買う人など滅多にいないハズで、その証拠に売り場のホワイトボードはすでて埃をかぶって隅の方にあった。
私たちが新しい物を注文したのも、ほしいホワイトボードが壊れていたからである。
それが、僅か1-2日で、しかも私たちと同じサイズのものを買うお客が来る確立など何%あるのか。
きっと、注文を受けてから在庫を確認するのを忘れていたに違いない。

私の人を疑うというインドのみで役立つ癖は不幸にも的中した。
それは、家に帰って確認した携帯の着信記録が教えてくれた。

油断できないのはインド人だけではない

8/5
妻が作ったパンを「ASUKA」の人に試食してもらいたいと言うことで同行した。
「ASUKA」は友人が保有するサービスアパートメントである。
外見にはわざわざピンクシティと呼ばれるジャイプールから運んだ豪華なピンク色の石で出来ているマハラジャの宮殿を思わせる建物である。
部屋は10部屋あり、日本からの長期出張者が宿泊している。
宿泊者はすべて日本人で、日本にいるのと同じサービスを売りにしている。
例えば、食事はすべて日本食でNHKや日経新聞などが見られる。
しかし、パンはインドのパサパサなものなので妻の日本流のパンが提供できないかと考えた。
日本ではパンを売り込むなどという行動には躊躇するが海外では不思議と自然に行動できる。
いわゆる、ダメ元というインド流思考回路が自然に作動する。
料理人を兼ねているチーフには評判が良かった。
宿泊客に出して、感想がもらえることになった。
私たちの計画の一歩前進である

時間があったのでForum mallに行った。
昼時にでもあったので、レストラン街でランチとしゃれこんだ。
喉が渇いていたので、アイスクリームを注文した。
レジで料金を払うため価格を聞いた。
中国系のお店で係員の言うことが良く聞き取れない。
10INRを出してみた。
違うらしい。
よーく、聞くと110INRと言っている。
耳を疑った。
110INRは料理よりも高い。
近所のスーパで買う同じようなアイスクリームは10倍以上あって50INRである。
20倍以上の料金である。
腹が立ったのでアイスクリームを返そうと思ったが、もう溶け始めている。
最初に料金を確認しなかったのが失敗とあきらめ、しぶしぶ110INRを払った。
席で食べていると、売り子とレジの人がなにやらこちらを見て話している。
間違いなく、良いことは言っていないハズである。
インド人も中国人も自己主張が強くこの面ではあまり好感を持っていないが、これに加え中国人は自己中心で日本人に対する偏見がある。
自己主張や自己中心は、周りの日本人にも見られるので許容できるが、いわれのない偏見だけは許容できない。
海外技術者研修と言うテーマで、中国ではなくインドを選んだのも、単に友人がいるからという理由だけではない。
インド人は日本人に対して偏見はない。
日本の存在をまったく知らないか、知っていても自分たちを統治したイギリスを負かしたすごい国として尊敬の念を抱いている。
日英戦争の恩恵が、この国では未だに生きているのである。

Forum mallに来たのは、新鮮な魚を手に入れる目的もある。
階下に住むマヘッシュさんの奥さんがお勧めのお店が近くにあると聞いていたらからである。ランチを終え付近をしばらく捜したが、それらしきお店はなかなか見つからない。
何人かに聞くが、皆、知らないと言う。
結局、お店を見つけることは出来なかった。
インドでは、魚を買うのは至難の業であることを思い知らされた一日だった。
なにしろ、ベジタリアンが多いので魚は食べないし、魚を食べる人がいないので魚のお店は目立つところにはない。
当分は、Total mallの魚売り場を利用することにする。

折角なので、Forum mallの界隈をしばらく散歩した。
歩き廻った成果はあった。
大理石の彫刻の専門店を見つけた。
中の彫刻はどれもこれも素晴らしい。
私が一番知りたい値段は、どれも書いていない。
高級店では値段が書いていないお店が多い。
店員がそばに付いてきたので、思い切って値段を尋ねてみる。
手ごろの大きさの物が2000INR-4000INRである。
絶対に安い。
大理石でこの値段はない。
しかし、ここはインド。
何があるかわからない。
本物の大理石の見分け方が分からないので今日のところは保留としよう。
以前のMGロードの木彫刻とここの大理石彫刻は抑えておきたい。

悪い気分と良い気分

8/4
今日は、嫌な気分と良い気分を味わった。
最初は嫌な気分。
午後から企業研修の打合せに某企業のバンガロールオフィスを訪ねた。
某企業とは誰でもが知る大手の自動車会社である。
こちらで合弁会社を作って事業を展開している。
打合せ予定時間は午後1:30である。
タクシで彼らのオフィスに向かっていると、午後1:15頃に先方から「食事中なので午後2:00に延期する」と最初の電話が一方的に入った。
しばらくして、私たちは約束の10分前の午後1:20に予定通りに到着した。
受付で待っていると、先方から午後2:00過ぎに「到着しているか」との電話が入った。
そして、午後2:15に先方の人たちは現れた。
45分の遅刻である。

こんな事はインドでは良くあることらしい。
何も目くじらを立てる程のことではない。
私が嫌な気分になったのは、この後のことである。
実は某企業のメンバーの中に一人の日本人が含まれていた。
年のころ40-45くらいの肩書きはexecutive coordinatorであった。
聞きなれない肩書きであるが何でも最終決定権を持っているらしい。
2年程、現地に駐在している。
以前、インド人の研修担当者と打ち合わせしたときに彼の事が話題に挙がっていたので彼の名前は記憶にあった。
残念なことに想像どおりの人物であった。
一言でいうと、ヒューマンスキルが極めて低いのである。
私とは初対面でしかも大幅に遅れたにもかかわらず一言の侘びもなく、打ち合わせでは一方的に持論(と言ってもほとんどがT-wayの聞きかじり)を展開する。
途中でインド人の研修担当者が意見を言うと高圧的に発言を遮る。
打合せの体をなしていない。
他のインド人担当者4名は、ただ黙って座っているだけである。
しばらくして、先日、打ち合わせをしたインド人の責任者は黙って会議室から姿を消した。
今日の打ち合わせのテーマはCross culture研修である。
彼は、以前にFROで会った駐在員に顔つきもタイプも良く似ている。
明確な理由はないが、私はキツネ顔よりもタヌキ顔の方が好きだ。
会議後、インド人の若い担当者が「彼はあと1年で日本に帰ります」とうれしそうに私に言ったのが印象的であった。
これでは現地の日本人の評判が良くないハズである。
日本企業の駐在員はどのような基準で選ばれるかは知らないがアカデミックの面だけではなく、人間的な面からも考慮しなければ現地の信頼を得ることは難しいだろう。
この研修は、うまくいかないと直感した。
折角だがこの研修は断るつもりである。
お客を選べるというのも組織に属さない今の私の特権なのだから。

次は良い気分。
夕方に小さな友人が3人、我が家を訪れた。
例のBDA公園の兄弟達である。
姉が13歳、弟は10歳と5歳である。
散歩に行った公園で彼らの母親に偶然、出会った。
母親は30歳。
姉は17歳のときの子供になる。

インドでは若くして結婚する人が結構いる。
いわゆる低所得層に多い。
この訳はダウリにあるらしい。
ダウリは日本で言う結納金である。
額は知らないが、何しろ相当な額らしい。
ダウリが少ないと言う理由だけで花嫁が花婿の両親に殺されたことがあるらしい。
聞くところによると、ダウリの額は花嫁の年齢と関係し年をとるほど金額があがるらしい。
これゆえ、若年層での結婚が多いらしい。
見方によっては、合理的でなんとなく納得できる?

さて、母親と女の子の話に戻ろう。
女の子の目元は母親に良く似ている。
その母親は絶えず微笑みながら話をする。
私たちの事は既に子供から聞いていたらしい。
穏やかに気持ちの良い会話が進む。
私は思い切って兄弟を家に招待したいと言った。
母親はしばらく考え、5分待ってくださいと告げた。
私たちは公園を散歩して時間をつぶし再び訪れると既に兄弟は新しい服に着替えていた。
たいした事ではないかも知れないが何故か母親の子供に対する愛情を強烈に感じた。
それよりも、見ず知らずのそれも外国人に私たちの家も知らないのに子供が行くことを母親は簡単に承諾したのだろうか。
良く、人を見たら泥棒と思えと言う。
私たちが泥棒ではないと思ったからか。
何か他に期待するものがあったのだろうか。
直接、確かめた訳ではないが母親は私たちではなく、自分の子供を信頼しているからではかいかと思う。
清々しい気分になった。

BDA公園から私たちの家までは歩いて5分とかからない。
夕食は日本製のカレーであった。
兄弟はきちんとテーブルに座りおいしそうにすべてを食べた。
日本のカレーは始めてだったと思うが、とてもおいしいと言ってくれた。
ちょうど、林檎があったので夕食後に出した。
弟達はおいそうに食べたが、姉は食べようとしない。
嫌いなのかとも思ったがそうでもないらしい。
理由を重ねて聞くと、どうやら母親のお土産にしたいらしい。
こちらでは、林檎は比較的高価な果物である。
普段、余り手に入らないようだ。
母親の子に対する愛情と信頼と子の母親に対する思いやり、良い物を3つ見せてもらった。

インドの交通事情

8/3
インドの交通事情。
信号はバンガロール全体で10ケ所にも満たない。
交差点には信号も信頼感もない。
我先に、押しのけて、割り込んで、クラクションを響かせ、ただひたすら先を急ぐ。
どこで、どう折り合いをつけているのかは分からないが不思議と事故はない。
きっと、少しの追突など事故のうちに入らずにお互いに知らん振りしているのだろう。
これとよく似た光景をイタリアのミラノで見た。
自動車と言う自動車のバンバーが皆、めちゃめちゃになっている。
高級自動車も例外ではない。
なんでも、駐車するときにバンバーを使って止めるらしい。
スペースがないときはバンバーを使ってこじ開けるそうだ。
当時は、半信半疑だったがまんざらウソでもないようだ。
同じようなことをしている人種がここにもいる。

時々、交差点に警察官が立って交通整理をしている。
いや、交通整理ではなく混雑に拍車をかけている。
その証拠に、警察官がいない交差点では車の流れはそれほど悪くないが、車の流れが悪くなった先の交差点には必ずと言ってよいほど警察官がいるのである。
どういう根拠で、どういう判断で交通整理をしているのかは皆目、検討がつかない。
気分でやっているとしか思えない。
趣味だとしたら悪趣味である。
しかし、警察官の権限は絶対的である。
あの高名なオートのドライバも文句一つ言わない。
ひたすら、待っている。

そして、車が動き出す時には、すさまじい光景が展開される。
あの、我先に、押しのけて、割り込んで、クラクションを響かせ、ただひたすら先を急ぐ、すべての運転手の習性が目を覚ます。
しかも、いっせいに。
F1のスタートかチキンレースか。
一番になっても何ももらえないのに、必死に前に前に飛び出していく。
きっと、こんなことぐらいしか楽しみはないのだろう。

道路はひどい。
大きな穴が至る所にあり、そこに雨水が溜まっている。
雨水なので深さは分からない。
避けて通ればよいと思うが1mmでも先を行きたいので平気で突っ込む。
オートは水陸両用ではない。
ドライバは、自分の意思で突っ込むので心の準備が出来ている。
乗っているほうは堪らない。
こちらは、何の準備もなく頼みもしないのに水溜りに入れられる。
水がきれいな分、ジェットコースタの方がまだましだ。
雨上がりにオートに乗るにはそれなりの覚悟を要する。
濡れるのがいやなら真ん中に一人で乗るか、乗っている間は足を上にあげているとよい。

タクシは不思議と町では見かけない。
数も少ないし、いわゆる流しはほとんどないらしい。
僅かに、ホテルの前に数台いるくらいである。
乗るときは、タクシ会社に電話する。
但し、来る保障はない。
インドに来て、まだ一回もタクシを利用していない。

バスは沢山、走っているが地元民以外は利用出来ない。
別に、乗るのにライセンスが必要と言うわけではない。
どこが停留所でどこにいくバスかは、地元民しかわからないのだ。
大勢の人が立って同じ方向を見ていたらそこが停留所かも知れない。
他の地域から来たインド人にも行き先の文字が読めないのである。
バスは驚くほど安く、バンガロールの全地域を網羅しているので利用したいが、さすがの私もためらっている。
長距離バスから制覇していく。

そこで、普段の足は否応なしにオートになる。
これが、また曲者である。
州法では、メータ制が定められているが文字の読めないドライバには何の意味もない。
BYメータと言っても反応はまず返ってこない。
大体、相場の倍近い値段をふっかけてくる。
こちらはその手は先刻承知である。
何度も同じ手は食わない。
オートのドライバは神業のような運転をする。
文字では表せない。
ここに来て、体験するしかない。
たった、30-40INRでディズニーランドよりcoolな体験ができる。
但し、航空運賃は含まれてはいないが。

衣食住シリーズ その3 住


8/1
インドに来て、新しい月を迎えた。
私の地元の夏祭りは、無事に終わっただろうか。
もう、お盆の帰省がマスコミで取り上げられ始めているだろうか。
高校野球の予選は終えたであろうか。
オリンピックの話題は華やかであろうか。
家の庭の芝は夏枯れしてはいないだろうか。
子供たちは元気であろうか。

今日は、衣食住シリーズの最終回である住生活。
インドは混沌で雑多で多様な国であることを一番身近に感じるのは住生活である。
日本なら一つの地域(例えば分譲地)内では、平均的な家々が立ち並ぶであろう。
インドは全く様子が違う。
豪華な邸宅のすぐそばにスラムがあったり立派な庭園の隣が悪臭を放つドブ川だったりする。
とにかくバラバラで、どのように説明したらよいか。

身近な例として、私たちの住生活から話を始めることにする。
私たちの住む地域は、インド政府が計画分譲した所と聞いている。
何でもここを見に来たある日本人がバンガロールの土地価格は東京並みと言ったそうだ。
おせいじ半分としても、相当な価格なハズである。
何しろ1区画が300坪-400坪近くある。
そこに総4階建ての建物である。
私たちの部屋は3LDKHRで申し分ない広さである。
Hは日本では馴染みがないがHallのことである。
HLDKだけで50畳は下らない。
それに40畳のRが付く。
日本流のベランダである。
寝室は3部屋であるが、1部屋が8畳から12畳で各部屋にトイレと風呂場がある。
お風呂にはシャワはあるが、いわゆるバスタブなるものはない。

ACは主寝室のみで、あとはファンである。
ファンは全部で6つある。
何しろ気温が20-25度である。
今の季節はファンで十分である。
各部屋には天井までの作り付けの収納家具が付いている。
荷物は1部屋で収納できてしまい残念なことに2部屋はほとんど使用していない。

さて、これだけの部屋を日本で借りたら一体いくらになるだろうか。
友人宅と言うこともあるが、家賃は横浜に住む娘の1Kのアパート家賃と僅か11,000円しか違わない。
インドにも敷金(Deposit)がある。
通常は、10ケ月であるが交渉で4ケ月になった。
光熱費は、未だ請求書がないので分からないが、少なくともバスタブがないためガスと水道は間違いなく安いハズである。
請求書が来るのが楽しみになることなど日本では味わったことがない。

M.Gロードはお気に入りの場所

8/2
バンガロールの一番の繁華街はM.Gロードである。
旅の本などにM.Gロードにいると、ここがインドであることをしばし忘れてしまうとある。
どれほど、近代的でブランドショップに溢れている所かと期待していた。
オートで40分、メータ+10で70INR。
メータ+10が近頃の私たちの定番である。
当初の外国人価格からすると、学習能力は素晴しいものである。
今では、オートのドライバとの交渉も楽しみの一つになった。

見慣れた雑踏を過ごしていると、突然、地下鉄工事中の道路の左端にオートが止まった。
故障か。事故か。
よく見ると反対側は高い塀のある公園らしき場所である。
ここがM.Gロード?
長さは1Kmにも満たない、片側に申し訳なさそうにいくつかのお店が並んでいる。
表参道ほどは期待していなかったが、事前に読んだ書物が絶賛していたのでそれなりの期待はしていた。

ぶらりと1件のお店に入った。
サリーやパンジャビドレスの注文店である。
値段は1000INRから上限に際限はない。
興味がわかない。
すぐに店を出る。
交差点を急いで渡ると角におみやげ物屋が目に入る。
時間つぶしを兼ねてなんとなく中に入る。
するとどうだろうか。
中は立派な金細工や大きな木彫のオンパレードである。
いろいろな国の木彫店を見たが、スケールと言い品数と言い圧倒される。
白檀の良い香りがしてくる。
本物だけあって価格もなかなかである。
私が気に入ったものは105000INRもする。
平均月収の10倍、日本人講師でも4倍である。
もし、ここがインドでなければ即断である。
航空便で送るとびっくりするぐらいの金額になるだろう。
何しろ、高さが1m近くもある。
お店の前には良くある安っぽいお土産が置いてあって、中には何万、何十万、何百万もする芸術的な彫り物が泰然と置いてある。
本当にインドには驚かされる。

夕方(15:30)、と言ってもJST19:00からSKYPEをした。
長男のところの花火大会を下の娘が見に行き、ついでに全員でSKYPEをしてみた。
長男のネット環境は10M,こちらは2Mであるが、まったく違和感がない。
むしろ、国内の電話よりも聞きやすい。
古臭い言葉であるがまったく便利な世の中になったものだ。
妻と娘が30分近く、SAL便で送ってもらう援助物資について話しこんでいた。
娘からの援助物資はほとんど妻の私的なもので占領されそうである。
私からのリクエストは「ムヒ」のみになりそう。

SKYPEを終えてから、例の公園に行った。
BDAパークである。
先週の女の子が一人で待っていた。
男の子は両親と家にいるらしい。
女の子と話すのは2回目だが、なんと聡明な話し方をする子なのだろう。
45歳も年下なのに変に風格を感じてしまう。
両親の育て方や教育ではなく、これが天性と言うのかもしれない。
また、来週、公園で会う約束をした。
インドでの楽しみがまた一つ増えた。

衣食住シリーズ その2 食

7/31
今日は食生活編。
インドと言えばカレーから始めるのが、この国にお世話になっている者の礼儀だろう。
カレーだけではないと反論したいところであるが、インドの食は全てがカレーである。
カレーに始まりカレーに終わる。(レー(礼)に始まり(礼)レーに終わる?)
KFCもMacもカレーのオンパレードである。
インドに来て今日で21日。
食事回数は60回近くになるがカレーを食べたのは僅かに4回だけである。
どうにかこうにか、カレーを避けることには成功している。
滞在中に日本カレーパーティを企画しており、ルー50人分を持参してきている。
2回は試食のためにこのルーを使ったものなのでインドカレーは正味2回である。

正直、年とともに香辛料は苦手になっていく。
本場のカレーは、日本のインド料理店の比ではない。
インド料理店のカレーなどはSWEETではないかと思えるくらい激、激、激、辛い。
特に、各家庭で作るカレーは遠慮なしに辛い。
家庭に招待されて、おせいじにも「おいしい」などとは口が裂けても言わないほうが良い。
毎晩、夢にうなされることは間違いない。
CoCo一番のカレーが懐かしい。

では、カレーが2回で後の58回はどうしているのか。
カレー以外に何を食べて生き延びているのかを説明する。
当然、肉類はほとんど売っていない。
Total mallの3階に、魚、鶏肉、マトン売り場があり、辛うじて魚肉が手に入る。
魚は地元の市場でも売っているが、頼みもしないのにハエも一緒にしかも大量に売っている。
こちらでは、刺身などと言う風流な食習慣はない。
火を通して食べるのでハエなど問題ではないのかも知れない。
魚の料金はグラム単位なのでハエの体重も料金に加算されてしまう。
地元の市場で魚とハエを買うのは損だ。

次に、生野菜は水と虫の問題でまず食べられない。
ここで生野菜と言う贅沢な食事をしているのは、野良牛と野犬だけである。
人様は、一度、ボイルしてから冷蔵庫で冷やして食べる。
見た目も栄養面からも好ましい姿ではないが仕方がない。

食生活で一番、難儀なのは調味料である。
ソース、味噌、出汁類は未だに手に入れることが出来ていない。
確かに、醤油、マヨネーズ、トマトケッチャップと言う名前のものは手に入る。
しかし、これらは日本からの輸入品ではない。
どちらが原産地かは知らないが、味は日本のものとは明らかに違う。
少し、かさばるが調味料は持参したほうが良い。

野菜や果物の味と値段は、間違いなくインドに軍配が上がる。
中ぐらいのスーパー袋にいっぱいのいろいろな野菜が僅か30-40INRである。
100円もしない。
感激を通り越して、感動的な値段である。
私たちの調査では、同じものでも売る場所と売り方により値段が異なる。
①地元市場、②宅配の野菜売り、③路上の野菜売り、④スーパー、⑤mall。
もっぱら②を利用しており、家の前に来る野菜売りのおじさんとはとうに顔馴染みである。
彼は現地語しか話せないが言葉を使わなくても野菜は買えるので大丈夫。
彼は、果物は持って来ないので果物は③か④で手に入れる。
最初は③を利用したが、品数で④が便利なので最近は④である。
マンゴやパパイヤは感動的な値段であるが林檎や葡萄は日本と遜色はない値段である。

そろそろ、食生活の閉めに入る。
今日の藤田家の食事は次のようなものである。
朝は、トースト、目玉焼き、ポテトサラダ、ヨーグルト、チャイ、マンゴ。
昼は、ヌードルとフレッシュジュース
夜は、パイナップルチャーハン、スープ、ヨーグルト、チャイ、パパイヤ

家が4階で、散歩で、野菜生活で、香辛料で、ベルトが2穴締まった。

衣食住シリーズ その1 衣

7/30
今日から3日間はお決まりの衣食住シリーズといこう。
(但し、爆弾テロがなければの話であることをお断りしておく)
インドは広い。
衣食住と言っても州によってぜんぜん違う。
何しろ日本の9倍の国土を有する国なのだ。
北インドと南インドではまったく異なる。
南インドでもチェンナイとバンガロールではまったく異なる。
ここはバンガロールの衣食住である。

最初は衣生活。
昨年の下見の際に、バンガロールのおよその気候や気温は知っていた。
大雑把に言って、暑気、雨季、乾期がある。
今は雨期で、下見の時は乾期であった。
暑気は4-6月である。
現在はインターネットのお蔭で世界中の気温を知ることができる。
しかし、数字だけで衣生活を捉えるのは、なかなか難しい。
やはり、湿度や風雨などを実感しないと対応は難しい。
バンガロールの気温は15度から高くても30度である。
今は雨季で気温は20度から25度である。
これから乾期に向かって気温は15度から20度に下がっていく。
暑気は体験したことはないが、それでも25度から30度である。
私の住む多治見では、40.9度を記録したことがある。
今も既に40度近くあるらしい。
日本が40度でインドが25度。
良くインドに行きたいが、インドは暑いからと敬遠する御仁がいるが如何か。
その上、ここは高原都市であるため風が極めて心地よい。
軽井沢ほど周りの景色や環境は良くないが、目をつぶっている限り遜色はない。
朝晩は風が冷たいので長袖がちょうど良い。
昼は日差しも強いので半そでで十分である。
雨季といっても、どこかの国のようにダラダラ・ムシムシとしつこくはない。
夜間か夕方、まれに昼間にザァーと降って20分くらいであがる。
日本の梅雨とはぜんぜん違うものである。
したがって、洗濯ものは良く乾く。
朝、干したものが昼には乾く。
極端に言えば2枚あれば、いつも洗濯したての服を着ていられる計算だ。

Mallでは外国のブランド品も売っており、ほとんどの種類のものが手に入る。
しかし、外国製の中に日本製は含まれていない。
下着も手に入るが、やはり日本製の決め細やかさには敵わない。
下着は持参したほうが絶対に良い。
インドの人は、短パンや半そでシャツをほとんど着ていない。
長袖シャツに長ズボンである。
日差しのせいもあるが、汚れを避ける意味もあるかも知れない。
赤土で風が吹くと風に砂埃が混じる。
ちょうど、黄砂のようである。
靴下は普段は履く必要がない。
何のことはない、靴を履かないからである。

セータなどの防寒具はバンガロールでは必要ない。
しかし、他の州に旅行に行くには必要とする。
例えば、北インドのレーなどである。
ヒマラヤに近く、最近は日本人のトレッキングも多いところである。
北ばかりではない。
バンガロールから南にバスで8時間の所にあるWOODTYも山裾に位置するため、乾期には0度近くまで気温が下がる。
昔、イギリスが統治していた時にイギリス人の暑さしのぎとしてWOODTYは避暑地として開発された。
軽井沢のような所と聞いており、今回の滞在で訪れたい場所のベスト3に入っている。

セータなどの防寒具はバンガロールで売っているのを見かけない。
情報が乏しく下着から着物までダンボールで3箱を持ってきたが、現地で必要に応じて購入するのも一つの手である。
但し、帰りの荷物が増えるのが悩みである。
ほとんどのものがこちらで手に入るが、当然、インド品質である。
半使い捨てと心得ていたほうが変なストレスを受けないで済む。
婦人ものは現地で購入したものの方が着やすく涼しいようである。
しつこいようだが下着は持参したほうが賢明である。

お気に入りのお店

7/29
昨日、最後の荷物が無事に届いた。
オフィスの担当者には迷惑かもしれないが、インドの郵送の仕組みに慣れるまではオフィス宛に荷物を届けることにしたい。
毎日、午後3時頃にPost Officeの人がオフィスにやってくるらしい。
そして、荷物がある場合には自分でとりにくるのか配達するのか確認し、希望すれは翌日に配達してくれる。
自宅宛の荷物の取り扱いはわからないが一軒、一軒、P.Oの人が尋ねてくるとは思われない。
自分でとりに行くと往復で100INRかかるが配達では50INRで済む。
やはり、オフィスを使わない手はない。

時間が少しあったので、自宅教室のレイアウトを検討した。
私は、インド人技術者を専門に教え(Global Engineer IKUSEI school) 、妻は趣味の教室(Culture and Baking school )を自宅で開く計画である。
人数は、いずれも5名の少数精鋭?である。
というより、5名以上は収容できない。
試行錯誤の末、どうにか教室のイメージが出来上がった。
15畳ほどのリビングを3分で教室に変更する妙案である。
生徒の机と椅子は応接セットで代用する。
プロジェクターは日本から持参した。
壁は肌色だが、試写したところ問題はない。
後はWrite boardを購入すれば、構想以上の教室が出来上がる。
問題は生徒の確保である。
Culture and Baking schoolは、既に第一号の生徒が決まっている。
フィリッピン人のジーニアさんだ。
ジーニアさんは1月からバンガロールにおり、仕事上からも友人が多い。
口コミでどうにか生徒は集まりそうである。
肝心のGlobal Engineer IKUSEI schoolの方は???
ここはインド、どうにかなる?
問題ない?

夕方、日本からの最後の荷物を取りにオフィスに行った。
あいにく、総務の担当者は休みである。
荷物は総務担当オフィスにあるらしい。
鍵は総務担当しか所持していないので、明日、出直してほしいとの事である。
総務の担当者がいないので荷物を受け取ることが出来ない。
こんなことは、毎度のこと。
確認しないで出かけていった私たちが悪い?

しょうがないので近くのレストランに食事に行った。
このレストランには、以前、ランチに1回だけ行ったことがある。
その時は、Fried rice とNoodle とPine juice を注文した。
びっくりするほど、おいしくもなくまずくもなかった。
今日もFried rice とNoodleを注文するが、すべて言ったメニュが拒否される。
どうも、時間帯が早いので軽食と飲み物しか用意できないらしい。
それならそうと早く言ってくれれば良いのだが、ウェイター私たちの注文に根気よく「イレ」と答えてくれる。
仕方がないので軽食で我慢することにした。
軽食は地元で良く食べられているDOSAのみである。
インドというとNANNを思い浮かべる人が多いが、NANNは北のほうの主食である。
メニュには、いろいろな名前のDOSAがあるが私にはさっぱりわからない。
唯一、読めたのがTOMATOとPAPERの文字である。
そこで、分かる文字の食べ物をエイヤで注文した。
これが正解。
両方ともにおいしいのである。
インドでは、このエイヤ方式が意外と好結果をもたらす。
PAPER DOSAは長さが50cmはあろうかと思うほど巨大である。
TOMATOは、ピザに似た珍しく香辛料の効いていない食べ物である。
当然のように、どちらも完食した。
全部で110INR。
レストランで大人2人がおなか一杯食べて、食後に100%のバナナジュースを飲んで225円。
この店の名前は、UDUPI GARDEN RESTAURANTと言う。
私たちのお気に入りリストに加えられた。

水と安全はタダではない

7/28
もう、テレビからは爆弾テロのBreaking Newsは余り流れていない。
平穏な状態にもどりつつある証拠か。
しかし、ムンバイとチェンナイは爆破予告のe-mailで今も厳戒態勢である。
北インドでは、パキスタンとの紛争で昨日も6名の死者が出ている。

ここでは、水と安全はタダではない。
私たちは、ここ2-3日はmall周辺に近づいていない。
海外では、自分の身の安全は自分で守るのが鉄則である。
しかしながら、どうやって守ればよいのか、まったく検討すらつかない。
生まれてこのかた、親に教えてもらったことがないし学校でも教わったことはない。
疑えば、誰でも爆弾を持っているように見える。
ムスリムだと現地の人はみな言うが、ムスリムという証拠はない。
とりあえず、人ごみが高危険度と言う浅い知識にしたがって行動するしかないのだ。
無防備なことは百も承知である。
最近は、日本も危険である。
テロリストを庇うつもりはないが、テロリストは何らかの思想がある。
それに比べて、日本では何の思想もなくムシャクシャしたとか社会や家庭に不満があるとかのまったく自分本位の理由から行動にでる。
ある意味では、こちらの方が怖い。
テロを容認するわけにはいかないが、行動に背景があるのとないのではその意味合いが異なるのは自然な人間の思考であろう。
ムスリムの両親や親族は、国家的な理由から何らかの仕打ちを受けている。
日本の若者の両親や親族はそんなことはないハズだ。
被害者の関係者はマスコミに顔を出すが加害者の関係者はマスコミに顔を出さない。
人権とか何とか言って加害者の両親はめったにマスコミにでない。
では、被害者の人権はいったいどうやって保障するのか。
罪を犯した人間には、人権などはないことを再確認すべきである。
国際テロを身近にして、つくづく日本は異端であることを感じた一日であった。

公園の小さな友達

7/27
昨日の爆弾テロでは合計41人もの犠牲者が出たとTimes of Indiaが報じている。
今日はムンバイで起こすと言う予告のe-mailがあったらしい。
ムンバイでは、日曜日にもかかわらず映画館とmallは閉鎖されるようだ。
テレビで見る限りでは、バンガロールより格段にすさまじい光景が展開されている。

風の具合で時々、イスラムの大音響のおきょうがスピーカから聞こえてくる。
なにか、釈然としないがこれも多国籍国家かの宿命か。

近くの公園(BDA park)に散歩に出かけた。
周りを柵で囲まれたきれいな公園である。
前にも書いたが、バンガロールは庭園都市と呼ばれ至る所にきれいな公園がある。
公園の入り口が閉まっていたので仕方なく帰ろうとすると、小学生くらいの少年が声をかけてきた。
公園に散歩しに来たというと、少年は手に持った鍵でおもむろに門を開けた。
しばらく、公園を散歩していると先ほどの少年と少女に出会った。
彼らの話では、今日は彼らが公園を管理しているらしい。
年は13歳で5歳の弟がいて、家族全員でムンバイから来たらしい。
学校で英語を習っており、きれいな英語をしゃべる。
妻は久しぶりにきれいな英語に出会って感動していたので確かである。
普段は両親がこの公園を管理しているが休日には両親の代わりに兄弟が管理しているらしい。
インドでは働く子供をしばしば見かけるが、両親を休ませるために働く子供など現在の日本では見かけない。
また、子供に公園を管理させると言う懐の深さにも感心する。
私たちは来週、また公園で会う約束をして別れた。

インドで手に入れた物

7/26
Times of Indian によると、昨日の爆弾テロは30分の間に7ケ所で発生したようだ。
うち、2ケ所は近くである。
ムスリムの仕業であることは間違いない。

昼過ぎに待望のインターネットを手に入れた。
2MBとインドでは高速である。
4GBの制限で777INR/monthである。
さすが、バンガロール。
いろいろなプロバイダーがいろいろなパターンを提供している。
高速で使い放題がいいに決まっているが、財布と相談して決めた。
予断として、777という数字も気に入っている。
これで、予定していた次のものは手に入れた。
・パスポート
・就労ビザ
・滞在許可書
・家具一式
・家電一式
・観葉植物
・ガス
・携帯電話
・オフィスまでの交通手段
・インターネット
予期しないで偶然に手にいれたもの
・使用人
・お餅、マーボ丼の素

テレビは今日もアーメダバードで爆弾テロがあったとBreaking Newsを報じている。
7ケ所で6人が死亡、25人が負傷。

爆弾テロで明け暮れた一日

7/25
我が家に初めてお客様が来た。
名前はジーニャさん。
若いフィリピン女性である。
もう一人はインド人のメイドである。
彼女らは、友人が所有するサービスアパートメントで働いている。
名前はアパートだがなかなかの建物である。
以前は友人の家族が住んでいたが広すぎて管理が出来なくなり、今は長期滞在者用のホテルになっている。
主に、トヨタ系の海外出張者が宿泊している。
意外に思うかもしれないが、インドの都市のホテルは日本より格段に高い。
ちょっとしたホテルで1泊2-3万である。
オベロイなど超一流になればこの比ではない。
出張者なら会社持ちなので良いが私たちにはとても泊まれない。
バックパーカ向けの安宿もあることにはあるが、違う理由でこれまた私たちには泊まれない。
インドにいわゆるロングスティヤーがほとんどいないのは、このあたりに最大の原因があるのかも知れない。
私たちは案外ラキィーなのかも知れない。

ラキィーと言えば、友人が飼っている犬の名前がラキィー。
いつも退屈そうに1階で番をしている。

ちょっと待った。
今、オフィスから電話があり、バンガロール市内で爆弾テロがあったようだ。
急いでテレビをつける。
Breaking newsをやっている。
7ケ所で同時爆弾テロがあり、1人の女性が死亡し15-20人が負傷しているようだ。
1ケ所は私たちの住むHSR layoutからは僅か2kmの所である。
私たちが良く買い物に行くTotal mallの近くである。
今日もTotal mallに行く予定でいたが、たまたま友人が家に来る予定になり外出を控えていたところである。
もう、1ケ所も時々いくForum mallの近くだ。
北インドでは、パキスタンとの関係で爆弾テロはよく耳にするが、南インドのしかもIT都市で起きるとは。
テレビではアナンサーが盛んに声を発している。
野次馬が大勢集まっている。
テレビアナンサーが、政府は爆弾テロ説を否定していると伝えている。

オフィスのインド人の友人に電話したが、心配ない大丈夫と言われる。
大丈夫というならぜひ根拠を示してほしい。
インド人が信用できないのは、断定はするがその根拠を示さないからだ。
もっとも、絶対に安全なところなどは世界中にない。
日本の荒川沖や秋葉原だって安全ではなかった。

差別の暴挙やテロを防ぐことは難しい。
それに会わないことも不可能である。
明日と明後日は休日であるが買い物は控えることに決めた。
こういうときにインターネットがあると便利である。
今日の爆弾テロを日本のマスコミが取り上げているかがわかる。
マスコミが取り上げていれば心配しないように連絡する必要があるが、取り上げていない場合は連絡するとかえって心配をかけることになる。
インターネットの工事は、明日する予定である。
ラキィーの話は後日。

インド人気質

7/24
今日は観葉植物を買いに行った。
オートリクシャで1時間もかかってしまった。
お店と言うよりも小さな植物園のようだ。
当然のように管理などは何もされていない。
林のようなところに雑然とある。
葉も枯れたものが多い。
鉢も壊れたものが多い。
まったく売る気があるかと疑いたくなる。
他のお店を探す自信がないのでブラブラと歩いてみる。
よく見ると種類も数も結構多い。
値札などなくお店の人に値段を聞くと聞くたびに値段が微妙に変化する。
どうも、その都度で適当に値段をつけているようだ。
結局、大きな鉢植え2つと中ぐらいの鉢植え4つを購入した。
日本でもよく園芸センターに行っており、観葉植物の値段はよく知っている。
日本では全部で2万円は超えると思うが、ここでは1,000INR(2,500円)で購入できた。
管理はダメだが感心したことがあった。
それは、お店で牛を3頭、飼育しており牛の糞を肥料にしていることと、鉢がセメントで出来ていることである。
植物にとってどちらも優れた方法だと思う。

さて、ここで問題が起きた。
私たちは3人で買い物にいき6つの鉢植えを購入した。
オートリクシャの運転手と合わせて、大人4人と6つの観葉殖物をどうやって家まで運ぶかである。
オートリクシャはトラックなどではなく、50CCバイクの後ろに人が乗れるようにした代物である。
タイのツクツク、マレーシアのトライショウと同じ構造である。
来るときに大人3人でギリギリなのに6つの観葉植物が増えているのである。

2人のインド人は問題ないという。
何が問題ないのだ。
一体、どうやって乗せるのだ。
しばらくすると、おもむろにインド人達は観葉植物を乗せ始めた。
私と妻はあきれ返って黙って見ている。
しばらくして、観葉植物は運転席に2つ、後ろの席に4つ収まった。
確かに、観葉植物は問題なく収まった。
そして、オートリクシャは2人のインド人と6つの観葉植物を乗せて帰っていった。
日本人2人は、それを唖然と見送った。
問題はなかった?
確かに、2人のインド人達には問題はなかった。

インドへの荷物の持ち込み

7/23
朝ご飯は、ご飯でスタートした。
なんだか、トンチ問答のようだが、今朝は正真正銘の日本のお米で炊いたご飯である。
インドにもいろいろなご飯があるが、パラパラで日本米のようにねばりっけがない。
おにぎりなどは、一生かっても握れないしろものである。
やはり、日本米はおいしい。
食べなれているせいだけでもないようである。
インド人にも、美味しいものは美味しいようである。
この日本米は大家であるインド人の友人からの差し入れである。
日本人がインド人から日本米の差し入れを受けるのは、多少の違和感を覚えるが、いつも有り難く好意に甘えている。

友人は、良く海外に出かけている。
今も、2週間ほどシンガポール経由で日本に出かけている。
どうも、彼の最終帰国地が日本の場合にお米を運んでいるようだ。
友人の家族も日本に住んでいたせいか日本米の大ファンである。
家族の期待に応えない訳にはいかないのだろう。
彼はせっせせっせとお米を運んでいる。
厳密には、個人が海外にお米を持ち出すときは農林水産省の許可を必要とする。
確か、インターネットにそう書いてあったような記憶がある。
まあ、たかだか家庭で食べる量でインド人なので神様も多めに見てくれるだろう。

ここで、インドへの荷物の持ち込みについてちょっと触れてみたい。
海外に荷物を持ち込む手段としては、自分で持ち込む方法と別送する方法の2つがある。
別送は、いろいろな会社が対応しているが、私たちは国際小包を利用した。
有名な輸送会社、2社にも見積もりを依頼したが、個人で送る場合には、JPの国際小包が文句なく安い。
民間の(JPも民間であるが)輸送会社は、会社関係の荷物が主で個人では海外赴任時の引越便くらいで、小口の荷物はどうしても割高になってしまう。
国際小包には、EMS,SAL,船便がある。
EMSはいわゆる航空便である。
船便は説明するまでもない。
馴染みのないのがSAL便である。
私たちもSAL便は知らなかった。
JPのWEBページではじめて知った。
航空便と船便を合わせて2で割ったようなものと考えると分かり易い。
SAL便は日本とインドの間は航空機を使う。
但し、貨物に余裕がある場合にのみ搭載される。
ここがEMSと異なる。
したがって、期間と費用は航空便と船便の中間となる。
私たちの経験では、期間は1ヶ月で費用はざっと1Kg/千円である。
航空便は、1週間で費用はざっと1Kg/1.5千円である。
船便は、当初から考えてはいなかった。
SAL便で5個のダンボール荷物を送ったが1つは出発間際でありまだ届いていない。
いろいろと心配はあったが、残りの4つは無事に届いた。
無事という意味は、ダンボールは全体が真ん丸くなった状態で、中の本などは水に浸したような形跡が見られた。
多分、どこかの空港(私はインドと確信しているが)で雨さらしになっていたに違いない。
インドでは日本からの荷物は、ムンバイに集められてから各地に送られているようである。
荷物に訳のわからない文字がたくさん書かれていたからまんざらウソではないだろう。
ダンボールはできるだけ2重の物にして、中の荷物は濡れることを前提に対策をしておくというのが私たちの教訓である。
次に、関税についてである。
荷物を送る際、運賃については知ることができるが関税についてはこれがなかなか難しい。
日本の役所や税関に問い合わせたが、当然、日本の税関では埒があかない。
インドの税関のwebページでも皆目検討がつかない。
しょうがないので、エイヤで4つ送って見た。
うち、2つにそれぞれ250INRの関税がかかった。
何故、2つなのか250INRという額は今もって分からない。
友人に聞いたら、税関の係管のそのときの気分でしょうと言っていた。
日本では、全く通用しない論理だが、インドではなかなか都合の良い論理である。
妙に納得できた。

荷物を持参する時には、預け入れ荷物の重量制限がある。
大抵の航空会社は、エコノミーが20Kg/人でファーストが40Kg/人である。
私たちはもっぱらマレーシア航空を利用するのでここからはマレーシア航空のことである。
一つの問題は、20Kgに機内持込み分は含まれるか否かである。
Webページでは明確に含まれると書いてある。
しかし、マレーシア航空の東京支店は含まれないと言う。
今回の機内持ち込みに持つには、パソコンが2台とプロジェクター1台があり合計すると20Kg近い重量になる。
Webページでは、オーバした分はエコノミー正規料金の0.5%/1Kgとある。
エコノミー正規料金の1割は大きい。
幸いに、オーバ分は必要としなかった。
理由は単純である。
機内預け入れ荷物は量るが機内持込荷物は量られなかったからである。
しかし、運悪く機内持ち込み荷物を聞かれ量られたらしょうがない。
結局、マレーシアもインドと同じく、係官の気分次第と言うことなのか。

インド品質のサーカス

7/22
夕方、友人の家族とサーカスを見に行った。
インドの現地サーカスを見た日本人は、それほどはいないと思う。
良い経験になった。
入場料は20INR,40INR,60INR。
値段の違いは、場所と椅子の良し悪しである。
一等席は60INRで、椅子はビアガーデンにあるようなプラスチックのものである。
三等席は20INRで、椅子は丸太である。
私たちが行った時は、既に開演していた。
インド音楽に乗って、お決まりのロープ技が真最中であった。
演目は日本の3倍くらいの速さで次から次に変わる。
とにかく、出演者の数が圧倒的に多い。
また、音楽の音も大きい。
しかし、音楽は楽団の生演奏である。
楽団と言っても3-4人だが、正面の高い位置に陣取りえらそうに演奏している。
道理で演者とのタイミングが見事な訳である。
動物は、馬、犬、象が出演していた。
帰りに駱駝を見たが、私たちが遅れていったためか駱駝の演技は見ていない。
インドの駱駝の演技を見てみたかった。
ピエロの演技は、現地語のタミル語なので笑うに笑えなかった。
技のレベルは、はっきり言って学芸会と運動会を足したようなものである。
組み体操のようなものは、バラバラでうまくいきそうにないと途中で止めてしまう。
おしゃべりしながら演技している演技者もいる始末である。
綱の上で、頭の上にカップと皿を乗せていく演技などでは、2回に1回は失敗する。
日本のサーカスでは、失敗はほとんどない。
サーカスにもインド品質があることを知った。

サーカスの帰りに、ちょっと寺院に寄り道した。
この寺院は大きな岩山の上にあり、850年まえに作られたそうだ。
それほど高い岩山ではないがバンガロールから離れていることもあり、遮るものもなく眼下には、遠くの山並みや近くの町並みが整然と展開している。
インドが悠久の大地という実感をする風景である。
夕暮れどきでもあり、静かに大地がたたずむ姿に表す言葉を失う。

貧しいインフラ

7/21
私たちは、パソコンを2台、持ってきている。
1台は事務所用で、もう1台は家用である。
当然、富士通製である。
しかし、2台のパソコンは未だインターネットに接続できていない。
接続できていないのは、インターネットだけではなくガスもできていない。
携帯電話も持っていない。

インドでは、私たちは外国人である。
何をするにも手続きが煩雑である。
パスポート、VISA,RP(居住許可書)が必要でガスなどは申請後6ヶ月も待たされる。
ガスには政府管轄と民間との二つがあり、政府管轄は6ヶ月待ちであるが、民間だと翌日には手に入れることができる。
ガスは両方ともプロパンガスである。
いわゆる都市ガスはない。
接続工事のやり方は同じである。
政府管轄に時間がかかる理由は申請者が多いのだ。
それも、そのはずで価格が民間の1/3で済むらしい。
私たちの滞在予定は5月までである。
1月まで待てないので、早速、私たちは民間に申請した。
携帯電話は簡単に手に入れることができる。
携帯電話の普及率はすごい。
ほとんどの人が持っている。というより、念柄年中かけている。
普及率というのは曲者である。
国全体で比較すれば、圧倒的に日本が高い。
しかし、インドは11億も人口があり地方の普及率は0に近い。
バンガロールでの普及率は、東京や名古屋よりは間違いなく高いだろう。

野良牛と野犬


7/19
今日は土曜日。
買い物を兼ねてバンガロールの町並みを散策することにした。
バンガロールには大きなモールがいくつかあるが、既に2つのモールは制覇した。
そこで、今回は気分を変えて下町を散策することにした。
特に、目的の買い物はない。
オートリクシャで15分くらい行ったところに手ごろな商店街を見つけた。
オートリクシャを降り、しばらく下町を散策した。
なんだか、この辺はやたらと牛と犬が多い。
人より、牛と犬に合う方が多い。
しかも、そのほとんどが野良牛と野良犬である。
野良犬は良く聞くが、野良牛はインドならではであろう。
インドに来て何が怖いかと言って、野良牛と野良犬ほど怖いものはない。
道の真ん中に野良牛がとうせんぼうしている横を通り過ぎるのはかなりの勇気がいる。
何も害を加えないことは知っているが、それでも怖い。
何しろ図体がでかい。
目も大きい。
野良牛の中には水牛もいるのである。
体当たりされたら、ひとたまりもない。
ツノなどは、私の腕と同じ長さだ。
野良牛は、機嫌をそこねないように祈りながら知らん振りして通るにかぎる。

一方、やっかいなのは野良犬である。
いや、野良犬なら私は怖くはない。
インドの野良犬の多くは野犬化している。
野犬は間違いなく怖い。
気の荒い風来坊達である。
こちらの都合など関係ない。
野犬の機嫌がすべてに優先する。
こちらは、野犬の今日の機嫌を知るすべがない。
目を合さないようにとアドバイスを受けるが、敵の目を見ないで通るのはもっと怖い。
目を合さなければ大丈夫と言う保障など誰もできないハズである。
友人の奥さんの話では、野犬の被害で亡くなる人は一日に1-3人おり、しかも、そのほとんどが子供らしい。
私は野犬とはどんなことがあっても友達にはなれない。

野良牛と野良犬が怖いので、再びオートリクシャに乗って馴染みのモールに行く。
土日曜日ということもあり混雑していた。
売り場を歩いていると私の目に馴染みのあるものが飛び込んできた。
畳である。
縁にインドらしい派手な飾りがある1畳ほどの畳である。
珍しさと懐かしさとで思わず衝動買いした。
畳をカートに入れて売り場を歩いていると、いきなり後ろから現地語で声をかけられた。
どうも、日本人が畳みをもっていたので気になって声をかけたらしい。
何を言っているのかわからないが、私は急いでいたので何に使うのかと聞いていると適当に解釈して「ヨガヨガ」と言ったら、彼は連れの母親らしい人に一生懸命に説明していた。
今回も私の適当な解釈はあったっていたようだ。
この手の経験は、既にバンガロールで何回かは経験済みである。
不思議なもので、言葉は雰囲気で伝わる場合があるものらしい。

5000円で豊かな食生活

7/18
オフィスは休み。
朝、一番でお馴染みのスーパーに行く。
雑貨屋を大きくしたような店舗で、
さすがにスーパーと言うだけのことある。
ときかく、いろいろなものが雑多に置いてある。
埃は当たり前で、中には袋が破けているものまである。
日本では、到底、売り物にはならない。
それどころか、お客から苦情が殺到するに違いない。
今日の買い物はちょっと奮発して500INR。
野菜は40INR。
食べること(嗜好品除く)だけなら1ヶ月4000INRもあれば十分だ。
日本円で一人5000円である。

停電か蚊か

7/17
オフィスには、午後の4時に行く予定である。
今日は、インドの停電について書く。
インドに来る前に本やインターネットで停電があることは知っていたが、頻度の多さには正直、ヘキヘキしている。
停電は、まるで約束しているかのように毎日一回は必ずある。
多い日には4-5回もある。
特に、雷などに発生はないので恒常的で意図的なものだろう。
その証拠にPower cutと言っている。
現地の新聞によると雨が降らなければ一日6時間しか供給できないと言う。
やっかいなことにその停電は、時を選ばず起こる。
停電すると一瞬にして、何もすることがなくなる。
そればかりか、ファンもA.Cも停まり部屋の中は徐々に暑くなる。
復旧の目処がわかれば、我慢もできるがインドで将来のことなど誰もわからない。
暗がりでひたすら復旧を待つ。
暑さに耐えかねて、外に出たり部屋の窓を開けようものなら、たちまち歓迎しないものたちが訪れてくる。
インドの蚊は、刺されても日本の蚊のような痒さはない。

各家庭では、この停電対策として自家発電装置(UPS)を用意している。
友人の家には自家発電装置が5台あるが、残念ながら私たちの階にまでは恩恵に預かることは出来ないようである。
UPSは、1台3000INRである。
5台でやっと1時間持たせることが出来る。
停電の90%は1時間以内に回復するので、15000INRの投資になる。
衛星放送やインターネット接続も考えている。
どれも、日本に持って帰れない。
どれに投資するか悩ましいところである。
妻に相談すれば衛星放送に決まることは間違いない。
日本を発つときの一番の心残りが子供ではなく「篤姫」が見られなくなることである。
私は絶対にUPSである。
娯楽より生活必需品である。
しかし、正直なところ英語と現地語のテレビにも飽きが来ているころである。

今日はオフィスから家まで30INRで来た。
この金額は間違いなくIndian Priceである。
インドには、インド人価格と外国人価格が存在する。
例えば、PCのコンバータ(コンセントの形状がインドと日本では異なる)を私が買いに行くと150INRと言われるが、オフィスのエンジニアではこれが何と1/5の30INRになる。
とにかく、オートリクシャはこれまでは50INR-70INRの外国人価格からインド人価格に入れたので、今日だけは少し鼻高々である。

激しい雷雨と停電

7/16
昨夜、バンガロールの町は激しい雷雨に見舞われた。
そして、この間、町は当然のように停電した。
私たちの家の2階にはUPS(自家発電装置)があるらしいが、私たちのフロアには未だない。
部屋は真っ暗で冷房も切れている。
幸い、私たちのフロアは最上階であり40畳はどの広いベランダが付いている。
実は、ここに住もうと決めた理由の一つがこの広いベランダである。
しかも、角地の4階なのでバンガロールの町並みが一望である。
昨年、来たときから私は大変、気に入っている。
停電を楽しむために、夕涼みを兼ねてベランダに出てみる。
真っ暗な町並みを想像していたが、以外に明かりがある。
やはり、バンガロールはインドの中でも1,2を争う豊かな都市なのであろう。
多くの建物にUPSがあるのだろう。

今朝は、雷雨のせいで、夜中に2,3回、目覚めた事もあり多少眠たい。
しかし、今日は訪印してから1週間なので、健忘録を兼ねて纏めておきたい。
A.これまでに手に入れたもの
パスポート、就労ビザ、滞在許可書、家具一式、家電一式…
B.これから手に入れる必要があるもの
市ガス、携帯電話、インターネット、オフィスまでの交通手段…
まだ、手続きは続くが、我ながら良くここまでやってきたと思う。
海外赴任だと会社がほとんどすべてやってくれるので楽である。
ビザも住宅も会社に任せておけば良い。
文字通り、体一つで来れば済む。
しかし、私たちは、すべてを自分たちで一からやらなくてはならなかった。
ビザなどは旅行代理店に頼めるが、私たちが住んでいた市には私たちが当たった限りではEMPLOYMENT VISAを取得した経験がある代理店は見つからなかった。
そこで、インターネットでの調査やインド大使館、総領事館へ電話したりして、試行錯誤の末にやっと手に入れた。
しかも、大使館にいくことなく郵送で手に入れることができた。
これらは、大きな経験であるが、残念ながらインドビザは頻繁に変わるので、今度取得する時は、また一からやり直しであろう。
しかし、インドに居住するための手続きや注意事項など、今回、経験した事のいくつかは今後に生かせるハズである。

私たちはインド居住手続きの経験者という財産を一つ手に入れる事ができた。
インド滞在中には、どんな財産を手に入れることが出来るだろうか!!

居住者登録無事完了

7/15
ゆっくりとした朝を迎えた。
今日はオフィスで待ち合わせて15:00にFROに行く約束だったので、少し早めではあるが余裕を見て14:30にオフィスに行った。
しかし、15:00になってもなかなかオフィスを出発しようとしない。
どうも、私たちと一緒に行く予定のサポータが見つからないようである。
昨日、感謝したサポータはオフィスに居る。
彼に急用でも出来たのか、それとも休養か。
代わりの人がなかなか見つからないようである。
そのうちに、私だけで行けないかと言い出す始末である。
ここで根負けしたら、後が大変である。
FROの手続きは到底、私たちの手には負えないことは昨日、経験済である。
「No」「None」「ダメ」「ire」と知っている限りの言葉で否定する。
この甲斐あって、どうやらサポータが決まったようである。
とにかく、インドでは、5回言ってやっと日本の1回分に相当する。
「言った者勝ち」「ダメもと」と言う日本語がぴったりする。

昨日は車で行ったが、今日はオートリクシャで節約することした。
車では400INR、オートリクシャは200INRで半額である。
500円の節約の代償は、多くの排気ガスと砂埃である。

FROは、今日も相変わらず混雑を極めていた。
長い列に並んで、やっと順番が回って来た。
やれやれと思った瞬間、係官の言葉は「5分待て」というものである。
まだ、滞在許可書(RESIDENCE PERMISSION)が出来ていないようである。
確かに、私たちの書類には17:00と書いてある。
僅か、5分であるが、係官は絶対権限者である。
逆らったときの代償は、計り知れない。
しかたがないので、もう一度、長い列に並び直した。

並んでいる最中に予期しない光景に出会った。
突然、私の前に1人のインド人が割り込んで来た。
私たちは、外国人用の列に並んでいたので奇異に思えたが、最近では、外国に居住するインド人が多いそうだ。
そう言えば、入国申請書にもNRI(Non Residence Indian) と言う表記があった。
私たちは、これに印をつけたが、これは間違いでNRIは外国に居住するインド人のことで私たちはothersが正しいようである。
余談であるが、多分、私たちの入国申請書には間違いが多少あったと思うが、問題なく入国できた。
多少の間違いなど、間違いの内に入らないというインドの大らかさかが幸いした。

本題に戻ろう。
私は日本だったら当然、割り込んだ御仁に注意するが、ここではただ困惑するだけであった。
すると、何と近くにいたインド人が突然、毅然とした態度で注意したではないか。
私が予期しない光景と表現した訳は、インドでは割り込むことなど日常茶飯事で注意する人などいないと思っていたからである。
私は、注意した人にお礼を述べた。
彼はサポータで日本人を同伴してFROにきていた。
日本人は私の良く知る某企業の40くらいの駐在員であり日本人会の理事をしているらしい。
私たちでさえ、出来る限り自分たちで対応しようとしているのに、若い彼は何もせずに、すべてをサポータに委ね、ただ外で待っていた。
そして、私に会うと会社名や日本人会の肩書きを真っ先に言った。
昔の自分をしばし省みる。
確かに、彼の名前はインターネットのバンガロール日本人会のH.Pで見たような気がする。
機会があったら、私たちも日本人会に入ることを検討しようと思う。
検討といったのは、日本人会の多くは海外に進出した企業の下に運営されており、私たちのように組織に属さない者にとって、あまり居心地が良くないということを以前にマレーシアやタイを訪れた際に、現地の日本人の友人から聞いていたからである。
しかも、バンガロール日本人会には約270人も会員がいる。
理事はすべて企業人である。

私が入会するどうかの基準は、至ってシンプルである。
それは、日本人会が楽しい所かどうかである。

初仕事は居住者登録

7/14
今日はいよいよ居住者登録をする日である。
インドでは、観光や就労に関わらず3ヶ月以上、滞在する場合には許可書を必要とする。
朝、オフィスによって必要な書類が揃うのを待った。
この居住者登録はかなりの難関である。
何しろ、申請書だけでも同じものを4通も書かなければならない。
日本なら1通書いてあとはコピーで済むようなものである。
結局、すべてが出来るまでに4時間を費やした。

登録所は、FROと呼ばれ警察の代理をする場所で、車で1時間のところにある。
最初は、申請内容の検査である。
ここは僅か1畳ほどの場所に机があるだけである。
係官は2人だが、どちらかはなぜか席にいない。
この机の前に大勢の人がひしめき合い順番を争っている。
広大な敷地を有するFROで受付場所が僅か1畳というところがインドなのかもしれない。
確かに、インドは私たちには伺い知れない国である。
今回の申請は手馴れたサポータを同伴したが、多分、サポータなしで登録できるタフな日本人はほとんどいないであろう。
言葉の問題だけとっても、ここバンガロールだけでも、ヒンディ、タミル、カンナダ,テルグの4つの言語が使われている。
4つの言語を巧みに操ることなど、そもそもできるハズがないのである。
しかし、インドでは、3つくらいの言語を話す人は結構いる。
ちなみに、私の友人は、ヒンディ、タミル、英語、日本語を巧みに使い分ける。

現地サポータのお陰で、私たちの申請書は何とか受理された。
今日は、インドに来て初めてインド人に心から感謝した。
しかし、この日に手に入れたのは許可書の引換書のみである。
また、明日の17:00に多くの時間と車代を費やして取りに来る必要がある。
日本と比較するのはもう止めよう。
ここはインド。
不思議な事にインド方式にも少しずつ慣れさせられてきた。

ガス漏れとパワフル爺さん初体験

7/13
今日は、朝から大変な目にあった。
まだ、私たちは居住者登録が終わっていないのでガスの供給が受けられない。
そこで、プロパンガスを小型にしたようのもので代用している。
今朝、起きたら台所が妙にガス臭い。
調べたところ、ガスが昨夜から少しずつ漏れていたようである。
原因は、ガスの火が通る穴が詰まっており内部の圧力によりパッキンが横にずれていた。
今日は日曜日。
苦労して苦労して業者に連絡した。
業者は、なんでもないように店に持って来いと言う。
当然、ここはインド。
一言のお詫びもない。
日本で21,170日も生きてきて、インドに来て僅か4日で命を落とすわけにはいかない。
これからも何回か同じ目に遇いそうな感もするが、しぶとく生きよう!!

私たちは、友人の3階建ての家の3階に住んでいる。
インドの階の数え方はイギリス流なので日本流に言うと4階である。
1階は駐車場、2階には友人、3階にはインド人の家族が住んでいる。
そして、私たちは4階である。
日本では、最上階は家賃が高いが、インドでは必ずしもそうではない。
バンガロールには当てはまらないが、日差しの強い都市では最上階は敬遠されるようである。

家の前で野菜を買っていると、3階のインド人の主人から遊びに来るように声をかけられた。
インド人から先に声をかれられるとは思ってもみなかったので少し驚いたが、とてもうれしかったので遠慮しないで早速訪問した。
3階の住人はMAHESHさんという、インド綿や絹の輸出を仕事にしている人である。
奥さんはSHEIRAさんで、長男と長女の4人家族である。
長男はイギリスの大学に留学中である。
とにかく、インドの人は子供の教育には熱心である。
そればかりか、大金をかけている。
その証拠かどうかわからないがメイドが2人いるのにSHEIRAさんは働いている。

夜、寝ていると突然、玄関のチャイムが激しく鳴った。
虚ろな気分でドアを開けると、そこには子供2人と大人3人が立っていた。
一瞬、驚いたが、よく見ると2人の子供と1人の大人は見覚えがある顔である。
友人の子供と使用人である。
子供達は盛んにgrand fatherと叫んでいる。
状況が良くわからないが、とにかく部屋に入ってもらった。
どうも、見知らぬ大人は友人の奥さんのお父さんとドライバのようである。
チェルチィという所から、今、着いて挨拶に来たようである。
こちらは、就寝中で着替える間もなかったので上はランニングで下はパジャマ姿である。
いくら、インドであるとはいえ体裁が保てなかったが、しょうがないので着替えることなくいろいろと話をした。
grand fatherは、昔は大学の教授でタミル言語を教えていたそうだ。
インドには、サンスクリット語という日本語の原典とも言われている言語があり、今は、この研究をしている。
年は65歳。
(後で、72歳であることが判明)
今でも、毎日、3時間、1000回、腕立て伏せをしているという。
65歳で1000回の腕立て伏せはないと思うが、彼の上腕は筋肉が盛り上がっており、まんざら嘘ではなさそうである。
彼の住むチェルチィからバンガロールには、チェンナイを経由して12時間かかる。
何でも、もう明日の朝にはチェルチィに戻るようだ。
インドには、彼のようなpowerful grand fatherが結構いるらしい。
1泊2日で24時間のそれも道路事情が良くない車の旅で、6時間の深夜のたびを終えて、大きな声で饒舌に話をする65歳の日本人など私は知らない。
彼の早口で大きな声が耳に着いて、今夜はしばらく寝付けないだろう。

mallの初体験

7/12
今日は買い物に明け暮れた。
私たちの住むHSR layoutの近くにはForum mallとTotal mallの大きなモールが2つある。
近くとは言っても、オートリクシャでTotal mallは15分、Forum mallは40分かかる。
Forum mallは、町の中心にあり高級品を売っている。
4階には、お決まりの映画館もある。
妻は、以前にインドに来たときに、Forum mallで両替とカメラを買った。
持っている円が残り少なかったので、両替所を探したが両替所がなかなか見つからない。
外国では両替所は、不思議と隅の薄暗い所にある。
薄暗い場所を求めて30分くらい彷徨って、やっと両替できた。
レートは41.25であった。
1万円を両替して3750INRを手にした。
今回の滞在は長期間であり、いろいろなケースで両替に挑戦することにしている。
1.シティバンクからの送金
2.シティバンクのATMでの払いだし
3.現金からの両替
今回は3のケースになる。
3の場合は、約9.4%の両替手数料がかかることが判明した。
2のケースは、既に試みたが私のパソコンがインターネットに繋がっていないので、残念ながらシティバンクのWebページで結果を確認する事ができていない。
(後日、確認したら2.62JPY/INRで2はすばらしく良い。絶対にお勧である。)
こちらの日本人によると、円をドルに変換して送金し、INRに両替するのが一番良かったらしい。
現地に口座を開設できたら早速、挑戦してみることにする。

この日の昼食はForum mallの中のKFCで食べた。
思った通り、メニュはカレーのオンパレードである。
デザートにチョコパフェを頼んだが、さすがの甘党の私も食べ残した。
インド人のご婦人の体形が急速に変化していく理由がわかったような気がした。

Total mallは、どちらかというと庶民的なmallである。
私たちには、向いているようだ。
日本のユニーやヨーカ堂をイメージするとわかりやすい。
Discountも多くやっている。
大勢の人だかりがあったので、売り場の責任者風のひとに訪ねてみた。
レシート番号での抽選で当選した人へのキャッシュバックをしているとの事である。
なかなか良いアイディアだと感心した。
Total mallでは、妻が計画しているBaking schoolの電子オーブンを購入した。
これがかなり重いので特別料金を支払って配達してくれるように依頼した。
店員は、私たちの何度ものしつこい確認に、今夜の9時に配達すると明快に言い切った。
(実際、家に着いたのは、3日後である)
Total mallは名前の通り、いろいろなものがあり大変便利なmallである。
私も妻も大ファンになった。

オートリクシャ初体験

7/11
今日は、居住者登録の手続き書類を作るために初めてオフィスに向かう。
いつもは、友人の車に便乗するが初めてオートリクシャに挑戦した。
オートリクシャは、3輪の50CCバイクで、前にドライバ、後ろに3人が乗れるインドでは一般的な乗り物である。
通常はメータ制であるが、これは建前で料金はほとんど交渉で決まる。
インド人の交渉好きは良く知られているが、オートリクシャに乗るにも交渉が必要である。
彼らはオフィスまで70INRと強引に言う。
友人からは15-20INRと聞いていた。
後でわかったが、この値段で行くオートリクシャなどインド中を探してもいないらしい。
彼らとの交渉は延々と続く。
彼らと表現するのは、一人のドライバと交渉しているとどこからともなく大勢のドライバが集まって来る。
彼らの言葉は現地語(と言っても代表的のものだけでもインド国内で16言語もある)で、よくわからないが料金の談合?をしているようである。
結局、交渉は50INRで決着。
私は、日本人としては比較的交渉を苦にしない方である。
というよりも、どちらかというと交渉好きな方である。
交渉が苦手な人には、インドでオートリクシャに乗るのは大変な作業である。
しかし、この大変な作業をしないですむ良い方法がひとつだけある。
それは、すべて彼らの言う料金通りにすることである。
心配することはない。
50INRは、日本円で約125円、70INRは約175円で、僅か50円の交渉である。
私など、日本ではちょっとバスで駅に行くだけで520円も支払っている。
しかも、交渉することもなく、いつもバス会社の言う通りに….

インドでの初めての朝


7/10
インドでの初めての朝。
今は、インドは雨期らしいがバンガロールの空は快晴である。
日差しはきついが、蒸し暑くはない。
多分、気温は20度くらいであろう。
通る風は心地よい。
前日の名古屋は36.5度でとても蒸し暑く、ここは別天地の感である。
インドというと暑いイメージがあるが、このほとんどがデリィやムンバイ、コルカタなど北インドの話である。
日本からの旅行者のほとんどは、この暑い北インドの地を一通り回って足早に帰る。
最近では、青い都市やLAKEパレスで有名なウダイプールやエローラやアジャンタなどの遺跡群にいく人も多いようであるが、ここも北西インドである。
日本のテレビや雑誌でもほとんど北インドが取り上げられており、南インドに触れることは滅多にない。
インドは、日本の9倍もの国土を有し、国というよりは大陸である。
インドという言葉で気候をひとくくりにするのは、必ずしも正しくはない。

私たちの住むバンガロールは、南インドの中央部にあり標高920mの高原都市である。
公園や緑が多く「庭園都市」とも呼ばれている。
また、ITが大変盛んなところであり「インドのシリコンバレ」とも言われている。
そのため、多くのインド人IT技術者がいる。
今回の訪印の目的のひとつは、これらのIT技術者の教育である。
訪印の目的には、追々触れていく。

今回は、1年の滞在予定である。
日用品など家庭の必需品を少しずつ揃えていくために、早速、近くのお店に行った。
驚くことに、ほとんどの日用品や食品はここで買える。
日本のちょっとした、小都市のスーパー並みである。
インドに来ていつも実感するのは、日本は物が溢れていることである。
すべての物がきれいである。
町も水も安全である。
日本に居てはこれらの事になかなか感謝することはないが、インドに来ると感謝の念が不思議と強まる。

お店の帰りに屋台でマンゴを6個30INRで買った。
インドに来る前に家の近くのスーパーで値段を見たが380JPY/個であった。
マンゴは日本の1/30の値段である。
マンゴは大好きな果物なので、これはうれしい。

夜、ベランダから見える夜景の中に派手な電飾の家を発見した。
ハウス・ウォーミングという慣わしで日本の新築祝いである。
とても、珍しくきれいなので写真に収めた。

インドに到着

7/9
MH192便は、珍しく定刻の23:30に新バンガロール空港に着いた。
今年の5月に出来た新空港は、広くはないがなかなか快適な空港である。
今回は、EMPLONMENT VISAで、しかも、常備薬3種類を1年分保持していたので入管でいろいろと聞かれると思い、用意周到に常備薬の英訳文まで用意していた。
しかし、入国管理官は私の前でおおきな「欠伸」を一回してから、かったるそうにスタンプをドンと押した。
ちょっと、気が抜けたがなんとか無事にインドに入国することができた。

思えば、今回はひょんなことからインドに行くことになり、VISAの手配に始まり常備薬を1年間もらうための交渉など、準備に多くの時間と労力を費やした。
とにもかくにもインドに入国できたので、私たちの挑戦はこれで50%成功である。
挑戦するからには成功するに越した事はないが、挑戦するだけでもおおきな価値がある。
そう考えなければ、人はなかなか挑戦する気が沸いてこないだろう。
特に、年を経てから何かに挑戦するときには平常心が大切になる。
日本では挑戦するだけではなかなか価値は認められないが、この国では挑戦自体をみんなが認め合っている。
私のインド好きな理由の一つである。

私たちは、顔なじみのドライバの迎えの車に乗り、夜更けの道をバンガロールの町並みをひた走った。
昨年の11月に来たときは、まだ古い空港だったので20分も走れば良かったが、今回はそうはいなない。
結局、新空港は1時間以上を必要とした。
着いたのが深夜でもあり、道すがらは暗くインドに来た実感は余り沸かないが、それでも時折、薄明かりを通して見る家々はインドを実感するのには十分であった。

最近は、どこの国でも大きな空港ができているが、いずれも町並みから遠く離れている。
実は、滞在中に格安航空に挑戦して、インド国内、東南アジア、中近東を旅することを考えている。
以前、マレーシアで格安航空の旅に挑戦したが見事に失敗した。
今回は、場所を変えてリベンジする予定であるので、新空港が交通の利便性にかけるのは、私たちにとって、大変、不利益である。

私たちが居住する予定の友人宅には、午前3時(IST)に着いた。
友人には、深夜なのであらかじめ日本を発つときに迎えを断っていた。
私たちを迎えてくれたのは、運転手さん、お手伝いさん、使用人、セキュリティ、それとラッキーの4人と1匹であった。
日本とインドの時差は、3.5時間である。
こうして、26時間に渡たる私たちの旅の一日目は終わった。