2008年9月21日日曜日

インドの古典舞踊


インドに来て、初めて古典舞踊を見た。
本物はやはり感動モノである。
踊り手はSAWANTHと言う僅か16歳の若者である。
今日が彼のお披露目の初舞台である。
彼はまだプロではない。
したがって、今日の観客はすべて招待客である。
なぜ、私たちが地元の招待客(名士)しか入れない古典舞踊を見る事ができたのかを説明しよう。

私たちのローカルな友人の一人にプリーマさんがいる。
プリーマさんは、MAHARANI’ SCIENCE COLLEGE FOR WOMENのBiotechnology のHODである。
日本流に言えば、女子科学大学のバイオテクノロジ学部の学部長である。
私たちが日課のWALKINGをしている時にプリーマさんの家の前でご主人と知り合った。
これが縁で何度かプリーマさんの家に招待された。
その際に、私たちがインドの古典舞踊を見たい事は伝えていた。

今夕18:00過ぎに突然、プリーマさんから電話がありこれから古典舞踊を見に行くので一緒に行かないかとの誘いがあった。
あまりにも、急な話なので間に合うか心配で開始時間か尋ねた。
プリーマさんは平然として開始時間は18:00と言う
既に、時計は18:20を指している。
これから用意して会場にいくには少なくとも1時間30分はかかる。
躊躇しているとプリーマさんは家に来るように告げて一方的に電話を切った。
急いで準備をしてプリーマさんの家に行くと、ご主人はWALKINGの最中で結局、帰ってきたのは19:00少し前であった。
ご主人がシャワを浴びるのを待って出かけたので会場には20:30頃に着いた。
18:00開演の舞台に20:30の到着である。
2時間30分の遅刻である。
遅刻しているのに人を待たせて日課のシャワも浴びる。
これが俗に言うインディアンtimeである。

話を古典舞踊に戻す。
古典舞踊の会場は大学の講堂である。
バンガロールには常設の舞踏会場はない。
イベントがある時は、大学などの施設で行われる事が多い。
したがって、新聞を細かくチェックしないと捜せない。
私たちには到底できない。
やはり、ローカルな友人がいないとこのような幸運にはめぐり会わない。

SAWANTHの踊りはプロ級である。
私はインドの古典舞踊には詳しくはないが、彼は地元では小さい時から有名だったらしい。
来賓の挨拶では盛んに彼は地元の誇りであると賞賛していた。
5歳から有名な先生に習っており、既にライセンスを持っている。
古典舞踊ともなると、人前で踊るにはライセンスが必要らしい。
私たちが宴会芸で踊る踊りとは訳が違うらしい。

幸いにも公演の後でSAWANTHと話をする機会があった。
私は舞踊には素人であったが、率直に「力強いだけではなくエレガントである」と彼の踊りの感想を伝えた。
同席していた彼のグル(導師:教師)はとても喜んでいた。
以前には、多少、知ったかぶりもしていたがインドでは感想は素直に言うのが一番である。

いろいろと話を聞くと、どうも今夕の舞台のすべての費用は彼のご両親が負担したようだ。
会場設営、パンフレットの作成、プロの楽器演奏者、招待客への食事などで莫大な費用がかかっているハズである。
日本のピアノ発表会などは複数の人で負担するがインドでは個人負担である。
どこの国でも親は大変である。

余談であるが、どこかで彼にあったような気がしていた。
今日、あらためて写真を見て思い出した。

そうだ!美川憲一だ。

インド人の日本語講師

バンガロールには、何人かの日本語講師がいる。
先日、出会った10年来の友人の紹介で彼の日本語の先生が訪ねてきた。
彼はインドの日本語教育では有名な大学の修士である。
大学では7人の侍や三四郎などを研究し、松本清張の小説を難なく読むほどの日本語力である。
何でも難漢字を読む競争を友人としていたらしい。
漢字力も下手をすれば私よりはありそうである。

実は、私は密かに彼に会うのを楽しみにしていた。
噂では彼はバンガロール大学でも日本語を教えており、バンガロールの日本語関係者の間では名の知れた存在らしい。
私の楽しみは、彼の日本語の発音を聞く事であった。
私が教えているインド人は面白いようにインド英語の弊害でサ行とラ行の発音がうまくない。

早速、ひらがな51音を読んでもらった。
彼はまったく日本人と変わりなく、あいうえおと読み始めた。
カ行も順調に読む。
いよいよ、期待のサ行である。
サとシは問題ない。
スも問題ない。
セも少し違和感が残るがそれほど問題はない。
ソは全く問題がない。
私の期待はちょっとはずれた。
さすが、専門家は違うと感心していた時、待望のインド英語が聞こえてきた。
ラ行がいわゆる巻き舌になっている。
インド英語では、carをカール、Internetをインタルネットと発音する。
この癖が彼ほどの実力者でも直らないのである。

今回の試みでインド人に発音を教える時はサ行とラ行を徹底的にやればよい事がわかった。
彼には申し訳ないが、大きな収穫である。

彼とは今後も月に1-2回程度、日本語の教え方の勉強会をやる事にした。

2008年9月13日土曜日

やはり、昔の技術者は違う

昨日の夕方、懐かしい技術者にあった。
彼は、私たちがバンガロールに滞在していると聞いて、わざわざ子供を連れて会いに来てくれた。
彼と会うのは、実に10年振りである。

彼は私が働いていた会社の初めてのインド人技術者であった。
当時は、日本に来るインド人技術者は珍しかった。
彼と他にもう一人の技術者2人で日本に来た。
私には当時の記憶は余りない。
顔は良く覚えていないが、何故か2人の名前はハッキリと記憶している。
多分、当時は初めてのインド人技術者と言う珍しさもあっていろいろと交流はあったのだろう。

しかし、彼は当時の事を鮮明に記憶していた。
そればかりか、当時、一緒に写した写真を今でも大切に持っているという。
二度と会えないかも知れない人との記憶や写真を大切に持っているインド人がいた事に感激するのは可笑しいだろうか。

現在、彼は日本の某大手メーカが設立した同名のインドの会社の技術責任者をしている。
彼の所では、プリンターの組み込みソフトウェアを開発しているとの事である。
日本には良く行くらしく、今年も4月に行って今月末からまた行く予定らしい。
彼の日本の会社の研究開発拠点は、亀山と天理などにあり今回は天理市に6ケ月間行くらしい。

私はバンガロールに来て何人かのインド人技術者と話をする機会があったが、彼と話をしてみると全く他の技術者とは受ける印象が異なっていた。
彼は日本語をほとんど話さない。
下手な英語で話を聞いていても、違いは一目瞭然にわかる。

自信に満ち満ちているのが自然に伝わってくるのである。
背筋をピーンと張り、落ち着いた態度でかみ締めるように話す。
話の内容も経験にもとづき説得力がある。
確か、年は私より20近くは下のハズであるが、何かこちらが悟るような感じである。
これぞ、まさしくインドのIT技術者である。

インド人IT技術者は世界的にその優秀さが有名であるが、それは彼などが10年間で築き上げたものであり、現在の学問的なバックボーンだけは申し分ないが、打算的で自己顕示欲が強いインド人技術者に与えた評価ではない。

省みて、これと同じ事が今の日本にも言えないか。

来週の土曜日には、彼の家に招待された。
とても、楽しみにしている。
ちなみに、彼と一緒に来たもう一人の技術者はアメリカの大手企業のCISCO社の役員をしているそうである。

2008年9月12日金曜日

インドの竹はまっすぐではありません


先日のお気に入りの散歩道の途中に、なぜか竹やぶがある。
いつも気になって、何度も確認しているが確かに竹やぶである。
しかし、まっすぐには伸びていない。
いずれの竹も勝手気ままな方向に伸びている。
写真では空に向かって伸びている大きな竹のみが写っているが、もう、少し下の方にある竹もすべて曲がっている。

まるで、日本人とインド人を象徴しているようなので写真に収めた。
日本では、竹はみんな同じ方向にまっすぐに伸びている。
高さもほぼ同じである。
それに、比べてインドの竹は自由に好き勝手に伸びている。
各々の竹が自分の存在を主張しているようである。

今、異文化相互理解というテーマに取り組んでいる。
最近「単一と多様」と言う言葉で日本とインドの違いを理解すると良いのではと考えている。
例えば、生まれた時を考えてみる。
私たちが生まれた時には、周りの人はみんな同一の日本民族で同一の日本語を話す人である。
あまり騒がないでおとなしくしていれば、それなりに幸せな日々を過ごせる。
一方、インドはどうであろうか。
生まれたときは、周りには多くの民族の人々がおり、実に多様な言語を話す。
もし、日本のようにおとなしくしていれば、存在が忘れられ下手をすれば命すら落としかねない。
長い間、単一の中で暮らしてきた人々と、多様な中で暮らしてきた人々の文化、習慣、価値観が同じにならないのは当然の帰結であると考えている。
現在、取り組んでいる異文化相互理解のネタとして、この竹の違いを使えないかを考えている。
散歩の時にさえ漫然としているのではなく、常に問題意識を持っているのである?

私が聞いた例えをもう二つ。
その1。
日本では「沈黙は金」と言う。
インドでは、「沈黙は死」である。
その2。
日本の入社試験では「自分の意見ばかり言う人」が不採用になることが多い。
インドの入社試験では「何も言わない人」は必ず不採用になる。

最後に、もう一つ。
インド人には「竹のようにまっすぐな心」や「竹を割ったような性格」などは理解できない。

2008年9月11日木曜日

お気に入りの家


ここHSR-layoutには素敵な家が沢山あるが、中でも写真の家がお気に入りである。
最初、見たときにはとても個人の家とは思えなかった。
それくらい、周囲を威圧していた。
侘び寂びの世界もいいが、これくらい威風がある家もかえっていい。
変に回りに媚びていない所もいい。
バルコニーの形もいい。
色が白なのもいい。
植木もこれでもかと言うくらい大きいのもいい。
私には絶対に手が届かないと思わせるくらい高級なのもいい。

気に入っているので中を訪れては見たいとは思うが住んでみたいとは思わない。
何しろ、インドは砂埃がすごい。
外からでは分からないがべら棒な数の部屋があるのだろう。
毎日の掃除が大変である。
僅か3LDKHRの住まいの掃除でヘキヘキしている私は尻込みする。

この事を妻に話したら笑われた。
この家の主は自分では掃除などやっている訳はない。
きっと、大勢の使用人がいるハズである。
それも道理である。
やはり、私の価値観と感性では、このような家には一生住めないことを痛感した次第である。

お気に入りの庭


写真では良くわからないかも知れないが、この家の庭は実にカラフルである。
特に、ブーゲンビリアを始めとした南洋の花の鮮やかな色には目を見張る。
他にも、お金をかけていそうな花が一杯の庭もあるが、なぜかこの庭が気に入っている。

全体のバランスがいいのかもしれない。
それと、なんとなく落ち着いていてシックな感じもうける。
きっと、この庭の主もこの庭と同じように落ち着いていてシックな人なのだろう。
いつかお目にかかれる日を楽しみにしている。

お気に入りの散歩道


良く行く散歩道がある。
その散歩道は、家から歩いて5分くらいの所にある。
写真のように何の変哲もないタダの道である。
日本では良くある散歩道である。
ちょっと違うと言えば、両側に緑が沢山ありとても静かな事である。

バンガロールは「公園都市」と言われているように多くの公園や緑地がある。
緑が沢山ある事はさほど珍しくはない。
多分、私が気に入っている理由は、その静けさである。
とにかく、インドはうるさい。
あるとあらゆる車は、クラクションをやたらに鳴らし続ける。
日本では必ず口論になると思うくらいにクラクションを鳴らす。
追い抜いていく車だけではなく前から来る車もクラクションを鳴らす。
これに、野良犬や野犬の吠える声、やたらに甲高い物売りの声、喧嘩しているとしか思えない現地語の声、ムスリムの祈りの音楽など、身の回りにはあるとあらゆる喧騒と騒音がある。

ところが、ここはどうだろう。
さして、早い時間ではないが人もあまりいない。
何人かの人がのんびりと散策を楽しんでいるだけである。

きっと、日本なら何の気もなしに通り過ぎてしまうだろう。
ところが、何の変哲もないタダ静かであると言う事だけで気に入ってしまう。
私の物事に対する感性が徐々に生まれたときに戻っているような感覚に陥る。
インドは不思議な所である。

2008年9月8日月曜日

祝!!JEEC開講


最近、研修の話が続けざまに起きて日記を書く時間が思うように取れない。
次の4つの話を同時に進めている。

一つ目は、IT技術者の研修も車の技術者の研修も同じようなものだと軽く考え、1ケ月前程に私の持論を某大手自動車会社に研修提案書として提案した。
この駄目基で書いた提案書が幹部の目に止まり、最近は研修担当者との打ち合わせに忙殺されている。
この某大手自動車会社はインドの現地会社と合弁会社を作ってインド事業を展開している。
したがって、多くのインド人技術者が働いている。
この中で優秀な技術者は、本社での研修を受けるために日本に定期的に派遣される。
その数は、正確には知らないが1年間で100人くらいになるそうである。
また、バンガロール郊外に新工場を随時建設中でその数は年々増加しているそうである。
現在も彼らは3ケ月間の日本語研修を受けている。
これに加えて、ビジネス日本語、日本企業での仕事のやりかたなどを研修する計画である。

二つ目は、以前から進めているインド人幹部社員に対する異文化研修である。
この研修も一つ目と同じ会社である。
一つ目と違うのは、日本から派遣される駐在員とインドで採用されたインド人幹部社員との異文化に纏わる研修である。
現在、この研修内容については、私は二つの疑問を持っている。
一つは、異文化研修なのにインド人幹部社員に対する研修だけであるという点である。
異文化(Inter cultural)は相互理解が前提のハズである。
日本人駐在員の研修とペアにする事を提案している。
もう一つは、この研修は人材育成ではないと言うことである。
組織活性化研修である。
したがって、一般的な内容では成果が上がらないように思う。
企業内で日々生じている具体的な問題事例に基づいて、組織の問題も含めて進めるべきであるということを提案している。

三つ目は、インドを代表するIT企業Wiproに対する提案である。
現在は、Chenaiにある研修部門での検討結果を待っている所である。
Wiproは既に大きな日本語研修センターを有しており、「SHINPO」という有名なカリキュラムで多くの研修実績がある。
何で、Wiproなのかと疑問に思うかもしれないが、これも、どうせやるなら一番の所でやりたいと思って提案しているものである。
インドには、日本では考えられないこのような無謀なことが許される土壌がある。

最後は、日本語研修である。
今日、4名のJEEC一期生が入校した。
いずれも、仕事をしている個人である。
以前から、仕事をしながら日本語を学びたいと言う要望はあったらしい。
しかし、彼らは夜遅くまで働いており平日はなかなか時間が取れない。
これまでは、やむをえず断っていたらしい。
しかし、私が自由人で平日も休日も変わらない所に目をつけられた。
私の本心は日本語の教育などやりたくはないが、暇に任せてこれも軽い気持ちで引き受けた。
当然、私は日本人なので日本語の読み書きなどは簡単である。
しかし、普段、なにげなく使っている日本語を、全く日本語の知識がない人に教えるのは非常に難しいことであることを痛感している。

具体例は、これから嫌と言うほど書く事になるだろう。

今回は、日本にいる友人や子供たちも研修の事を心配しているかも知れないので研修の話を中心に書いた。
インドに来た目的と初心は忘れないように心掛けている。

2008年9月2日火曜日

神様の部屋

家に神様の部屋ができた。
本当は大理石の立派な部屋を作りたかったが、たまたまルピーの持合わせがなかったので、ここで我慢してもらう事にした。
神様の名前は、クリシュナ(デーヴァナーガリーKRISNA)と言う。
クリシュナは、インド神話に登場する英雄で、ヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神の第8の化身(アヴァターラ)である。
インドでは、ヴィシュヌに匹敵するほどの人気があり、ガウディヤ・ヴィシュヌ派では最高神に位置づけられ、他の全ての化身の起源とみなされている。

クリシュナには、別名があまたあり、広く知られている呼称はゴーパラ(GOPALA、牛飼い)、ゴーヴィンダ(GOVINDA、牛と喜びの保護者)、ハリ(HARI、奪う者)、ジャガンナータ(JAGANNATHA、宇宙の支配者)、マーダヴァ(MADHAVA、春を運ぶ者)、ダーモーダラ(DAMODRA、腹に紐をかけた者)、ウーペンドラ(UPENDRA、インドラ神の弟)などがある。

ヴィシュヌから生まれたブラフマーが世界を創造し、ヴィシュヌが世界を維持し、シヴァが破壊する。
永遠の海のなかでヴィシュヌは眠り、また無から世界が創られていく。
創造のためには破壊が必要であるというのは一見矛盾するようだが、その繰り返しが世界のリズムであるという考えがヒンドゥー教にはある。
西洋的な直線的な時間ではなく、永遠回帰の時間の捉え方である。
もしかしたら、私たちの生はヴィシュヌの見ている夢の一こまなのかもしれない。