2008年9月12日金曜日

インドの竹はまっすぐではありません


先日のお気に入りの散歩道の途中に、なぜか竹やぶがある。
いつも気になって、何度も確認しているが確かに竹やぶである。
しかし、まっすぐには伸びていない。
いずれの竹も勝手気ままな方向に伸びている。
写真では空に向かって伸びている大きな竹のみが写っているが、もう、少し下の方にある竹もすべて曲がっている。

まるで、日本人とインド人を象徴しているようなので写真に収めた。
日本では、竹はみんな同じ方向にまっすぐに伸びている。
高さもほぼ同じである。
それに、比べてインドの竹は自由に好き勝手に伸びている。
各々の竹が自分の存在を主張しているようである。

今、異文化相互理解というテーマに取り組んでいる。
最近「単一と多様」と言う言葉で日本とインドの違いを理解すると良いのではと考えている。
例えば、生まれた時を考えてみる。
私たちが生まれた時には、周りの人はみんな同一の日本民族で同一の日本語を話す人である。
あまり騒がないでおとなしくしていれば、それなりに幸せな日々を過ごせる。
一方、インドはどうであろうか。
生まれたときは、周りには多くの民族の人々がおり、実に多様な言語を話す。
もし、日本のようにおとなしくしていれば、存在が忘れられ下手をすれば命すら落としかねない。
長い間、単一の中で暮らしてきた人々と、多様な中で暮らしてきた人々の文化、習慣、価値観が同じにならないのは当然の帰結であると考えている。
現在、取り組んでいる異文化相互理解のネタとして、この竹の違いを使えないかを考えている。
散歩の時にさえ漫然としているのではなく、常に問題意識を持っているのである?

私が聞いた例えをもう二つ。
その1。
日本では「沈黙は金」と言う。
インドでは、「沈黙は死」である。
その2。
日本の入社試験では「自分の意見ばかり言う人」が不採用になることが多い。
インドの入社試験では「何も言わない人」は必ず不採用になる。

最後に、もう一つ。
インド人には「竹のようにまっすぐな心」や「竹を割ったような性格」などは理解できない。

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